産経社説 【主張】財政試算 真っ当な議論はこれから
ちょっと腰が引けているかな。まあ、社説として合格ライン的な話でした。
毎日社説 社説:視点 対テロ新法 給油活動を継続して、国際社会に直言せよ=論説委員・布施広
おや?と思った。署名記事だからか、日本の新聞にあるまじき随分とべたなお話を出してきましたね、と。まあ、そのあたりが落とし所だし、民主案もなということでしかたないでしょう。まあ、このへたれ論説というのは現実的でいいか。ちょっと悩むところだ。
毎日社説 社説:増税論議 地に足の着いた政策を示せ
まあ、毎日新聞が言うなら許すw←という感じかな。
読売社説 迷惑メール 野放しを許さない対策を講じよ
この手の話題を新聞が書くとつまんないものだな。とはいえ大笑いが書いてあるわけでもないか。
迷惑メールの約9割が、中国など海外のサーバーを経由し、日本に送信されている。海外発の迷惑メールが、規制の抜け穴のままであってはならない。総務省研究会が指摘したように、違反行為を国際的に排除する連携が重要となる。
いやそのあたりのご指摘は大笑いかな。
実際私を例にすると迷惑メールは物凄い。困ったことだと思うけど、フィルタで排除してとりあえず使えないレベルでもない。
朝日社説 被災者支援法―住宅の再建にも公費を
この問題は困窮している人には早急の課題だが国家のシステムとしてみると難しい。国もわかってないわけでもないが、いわゆる政治が関係しがちだ。
朝日社説 消費増税―真正面から議論せよ
バカだなと放言を言ってよいかな。まあ、朝日は次の信念のようだし。
それにしても、前政権までは高めの成長による「上げ潮路線」を掲げてきた。それが福田政権に変わるや、現実的な低めの成長率へ下げようとしている。「上げ潮」の楽観論に疑問を呈してきた私たちは、見直しは当然と考える。
その言葉をお忘れなく。
昨日これを書いた⇒極東ブログ: [書評]マネーはこう動く-知識ゼロでわかる実践・経済学(藤巻健史)
書き方のせいもあって(煽りや引きを入れなかったつもり)、また藤巻さんもオーラが減ってきたのか、エントリはあまり人気がなかった。ちょっと書籍の紹介としては出遅れ感はあったか。しかし、今回のこれで財政の問題と消費税については以前よりすっきりわかった。一番すきっとしたのは、米国の赤字問題で、こりゃたいしたことないね。サブプライム問題も今後雇用に影響するものの米国経済の基調にはそれほど深刻ではなさそうだ。大統領選挙もあるし中国バカ騒ぎもあるし、来年はなんとか保つ。まあ、それを見越してここで日本経済の頭をひっぱたくという高度な戦略もあるかもしれない。
朝日の社説に戻ると、藤巻説ではないが、財政と消費税については対処が必要だが、「正面からの議論」に必要なのは、景気またはデフレ対策である。その提言もない社説は、バカだな、でもいいしょ。
曇天
これから前線が出て午後には雨か。気圧がぐっと落ちそうなので鬱にご注意、かな。
明け方目が覚める。おやこのまま不眠かなと思ったが、寝た。風邪っぽい状態は続くものの小康というか、泳ぐくらいはできそうだ。
金曜日。そして10月も下旬。ああといったところだ。
11月にもなれば秋はぐっと深まるだろう。
基本的に同意なんだけど
徳保さんらしいといえばそうだし、らしくないといえばそうだし。
⇒核の傘
核の傘……例えば北朝鮮が東京に原爆を落としたら、アメリカが平壌に原爆を落とすのかな。
自分が被害にあったら、大火傷してから死ぬまでの間、「北朝鮮のやつらをぶっ殺せ!」と訴えるかもしれない。でもそれは、ショックで我を忘れた状態での発言。どうか聞き流してほしい。平和な生活を送っている今の私は、やはり原爆は必要悪の範囲を超えていると思う。
原爆による無差別大量殺戮の非道に、同じ非道で返して本当に嬉しいか。私は核の傘から脱退すべきだとはいってない。「可能性」を保留しておく意義はわかる。でも、ギリギリの場面で、日本の世論が核攻撃に対して核による反撃を望むなら、平和国家60年の歴史も虚しい。
この見解に私も基本的に同意。日本は核を持つべきではないと、いうふうに総括されてもいい。
感性的なズレは感じる。それは、徳保さんらしい/らしくない、微妙なところに関わってくるかもしれない。
そこを追求するという意味では全然ないのだけど、「でもそれは、ショックで我を忘れた状態での発言。どうか聞き流してほしい。」という発言は、遺言なり法的なものであればそうかもしれない(つまり他者との協定なりの発言なら)、しかし、およそ発言者たる者はとまで言わないし、いや全然言わないけど、あとで発言を変えたらなら、それがその人の発言だ。たぶん、そのあたり、徳保さんは、ブログの発言についても私とかなり違う感覚にあるのだろうと思う、けど、ちょっと踏み出していえば、私のこの指摘(その後の発言がその人の発言)というのが一般的だろう。
で、あれば。
こうした思想に関わることばは、そのショックをどこまで織り込んで言うかに掛かっている。徳保さんのこのケースでいえば、北朝鮮のミサイルが東京に落ちたときどうありうるか、ということを今の言葉のなかに織り込んでいかなくてはいけない。ただ、たぶん、率直に言うのだけど、そうした問いを立てないのが徳保さんのスタンスだった。で、そこで踏み込むなら、であれば、こうした今回の発言自体がナンセンスになってしまうのだ、というふうにはたぶんお考えにならないのかもしれない。
ちょっと表現がきつくて申し訳ない。
平和を問うなら今の「平和な生活」の自分の限界にいることはできないのだろうと思う。そして、その限界性は、実は現実世界、つまり米中の核のフレームの枠のなかで日本の核がどんな意義を持つかも問わないという、ことでもある。
少し話がずれる。
吉本隆明は、北朝鮮が日本を攻めるなんてことはない。絶対にないよと言う。ミサイルについては言及はないと思うが、同じくそんなことはないよと言うだろう。では拉致は? 彼はこれは個別交渉すれば簡単に解決すると言う。
私は、まず、拉致問題については個別交渉すればいいというのはボケ爺発言だろうとしか思わない。拉致は現状の範囲ではないし、あれは明確な国家犯罪なのだ。というあたりで、吉本がこの問題にオクターブ下で外しているのは明瞭。では、北朝鮮の攻撃の可能性についてはどうか?
私は、ないと思う。核弾頭が東京に投下されることもないと考えている。そんな心配よりもっと異質なテロを心配すべきだと思うし、その影はちらついていたと考えている。なぜ核弾頭投下がないか。私が北朝鮮を甘く見てくるからで、島根県程度の国力の疲弊国家の暴発にしては無理過ぎるだろうということだ。
むしろ、北朝鮮が怖いとすれば、それがシリアやイランなどと連携を開始するときで、むしろその連携が見られるようだ。北朝鮮の核よりそれのほうがはるかに怖いんだよと私は考えるし、どうもそう考える人は少ないみたいなので、極東ブログでも書いてきた。
少し話を戻す。
北朝鮮は東京にミサイルをぶちこむ能力があるかといえば、ある。ダーティボムくらいは可能だ。ではそれが暴発したとき、どうなるか。
被害は出る。ただ、かなり限定した被害だろう。そして、その時、日本人は太平洋戦争開始時のようなヒステリーに陥る。
徳保さんが暗に問われている問題は、むしろ、このヒステリーの問題であり、それこそが問題なのだ。
私たち日本人は、歴史に対して、平和を誓った。それは、米国の軍備も、中国の軍備も、最終的に無化する理路を明瞭にしてみせようという人類意識の課題でもあった。もちろん、そう書いても現実的にはせせら笑われるようなしろものだ。だが、敗戦の経験にはそれを書生論にしないものがあった。私たちは賢くそれを実現しなくてはならない。場合によってはずる賢く実現する必要もあるだろう。もっともどれほどずる賢くても中国の軍備ならオッケーみたいのはやめてくれよなというのは当然。