『自分の小さな「箱」から脱出する方法』再読

 『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(参照)の原書(参照)をこのところたんたんと読み直しているのだが、振り返って訳本を見ると誤訳とも言えないがリライトがきついことがわかった。これはたぶん、素訳をライターが原文を参照せずにリライトしているのだろう。オリジナル訳文がたぶん存在するだろうが、そこはわからないものの、原稿のリライトだとうと思われる文章執筆者は、おそらくこの本の根幹を理解していないのではないかと思った。中心概念である、Self-deceptionをおそらく理解していない。このタームが、現行邦訳では「感情を裏切って」というように「感情」を基点にしているが、原書では、感情もまた基本的にSelf-deceptionの結果となっている。Self-deceptionの原点としての感情がないわけではないが、原書のロジックでは通常の感情はSelf-deceptionの結果なのである。
 邦訳がこうなってしまったのは、おそらく日本人特有の「本心」「本音」という考え方に流し込んでしまったのだろう。ネットでよくバッシングにいそしむ人、とくに左翼さんに多いのだが、お前の本心はこうだろうバッシングをよくやる、あれと同じ構造になってしまっている。
 そうではなく、原書のロジックは、あるまで存在の構造が問われている。
 とはいえ、そうやって原書のロジックを活かしたとしても、おそらく日本人には通じないのではないか。
 日本人だと、「本心に素直に生きる」「自然に生きる」「嘘偽りなく生きる」といったふうに読まれてしまうし、それ以外の理解のしようもないのではないか。森有正やイザヤベンダサンが指摘していたように、日本人にとって「嘘偽りなく生きる」や無私・純真というのは、対人的二項関係でのある種、宗教的な強迫なので、そこで理解すると、まったく逆になってしまう。
 というか、日本人の場合、「嘘偽りなく生きる」や「良心」といったものは対人関係での宗教的な自己規定と同じなので、この本でいう自己正当化、self-justificationに近い。
 まあ、自分はこの本をより正確に読めてきたという実感はあるものの、これを日本人に説明するとなると途方に暮れる。