困難な時代を生きる君たちへ

 みなさんがこれから生きて行く時代過去の時代に比べればより自分というものが問われるものになります。
 戦争に巻き込まれることはないでしょうが、大災害に襲われる可能性は高くあります(富士山も爆発するでしょうし東京に大震災は訪れるでしょう)。しかし、生きるということは、避けがたいことは受けいれるということです。そして、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないというなら、人まねをしないことです。
 まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることは、実際には過去の時代にもそう多くはありませんでした。大学の先生のお話なんか聞いてないで、漁港や寒村で働く人の話を聞いてごらんなさい。
 生きることはいつの時代でもむずかしいものです。なぜか。あなたが生きることだからです。成功した誰かにあなたがなろうとしたら、あなたはあなたであることを失うでしょう。そこが問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も無価値、いえいえ、そんなことはありません。そんなことは問題ですらないんです。問題だというなら、ぐっと目をつぶって通り過ぎてしまえばいいのです。そんなところで自分を主張しても意味なんかありません。努力といった問題ですらないのです。
 でも、報われると信じて努力して報われる人もいるし、努力したのに報われなかった人もいる、そういう努力が大切だと思う人もいるかもしれませんし、その分かれ目がないこと、法則性がないことが私たちの時代の「困難さ」の実体だと思う人がいるかもしれません。ほらほら、もう問題を見つめる視点がぶれ始めています。
 グローバル経済の中で、努力と報酬の間の相関が希薄になったとか、みなさんが名前も知らないような遠い国で国債が値下がりしたり、不動産バブルがはじけたり、洪水が起きたりすると、いきなり勤めていた会社の株価が暴落したり、人員整理されたりする。「どうして?」と訊きますか。テレビを付けなさい。池上彰さんが答えてくれます。ブラウザを開きなさい。内田樹先生が諭してくれます。その程度のことです。そんなことはだから、あなたの問題ですらないのです。
 グローバル経済体制の一つの意味は、あなたより貧しい人がより富裕になろうとすることです。あなたの親の世代・祖父母の世代の人々がかつてはその貧しい人でした。それは幸福でもあり不幸でもありました。着実に富裕になっていく道は見えましたが、個人が生きるという時間の大半を社会や労働によって専有されて、自分を見失う道でもありました。しかし、世界がそのように進展することは、原人が旧人になるくらいの必然というものに過ぎません。
 富裕である国となった日本、そしてその富裕な人として、この時代にみなさんはどう生きればいいのでしょう。私に言えるのは一つだけです。どんな学問や仕事を選ぶにしても「私にはこれしかできない」ことを基準にして下さい。これしかできない「これ」がわからなければ、死んでしまってはいけないけど、どん底まで落ちてみるのもいいし、友だちみんなちゃらにしてしまうのもいいでしょう。自分の死の形というのをくっきり見つめることができたら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。自分の前に避けがたい一本の道が見えてきたら、それがあなたの人生なのです。
 私自身は20代からずっと打ち込んできたものはありません。支離滅裂で、その場その場をしのいできただけです。「そんなことやって何になるんだ」と自問し苦悶しました。ただ、それしかなかったように思いますし、できるだけ自分を偽らなかったように思います。
 「努力したけれど報われなかった」というのが多数の人間であり、人間というものでしょう。人間として生きるというのは、そういう全的な人間を理解する過程なのです。