しらけ世代のこと

 どうも年寄りイメージで見られて、まあそれでもいいし、実際、自分が20代のころ50歳のおっさんはスゲー年寄りに見えていたことも覚えているので、まあ、そんなものだが。
 が、というのは、私は1957年生まれで、団塊世代ではないのな。
 ウィキペディア的に整理すると。
 ⇒団塊の世代 - Wikipedia

団塊の世代
1947年-1949年

 でポスト団塊でもないのな。

次代:
ポスト団塊の世代
1950年-1954年

 ほいで⇒しらけ世代 - Wikipedia

しらけ世代
1950年-1957年

新人類
1958年-1964年

 このあたり、ちょっと書いた人が時代・世代感覚がないのだろうけど。
 ⇒新人類 - Wikipedia

新人類
1960年-1964年

 で、ちょっと混乱している。
 これは、東京オリンピックと万博、
 それと⇒吉展ちゃん誘拐殺人事件 - Wikipedia
 それと⇒大久保清 - Wikipedia
 まあ、そのあたり
 それと浅間山荘事件
 ⇒あさま山荘事件 - Wikipedia
 これもかな⇒東大安田講堂事件 - Wikipedia
 これが微妙。
 整理すると、東京オリンピックの記憶が、あの時代の風景や空気とともにあるかないかで、世代の感覚が変わる。
 それと、吉展ちゃん誘拐殺人は、私の世代の子ども(吉展ちゃんは1959年生まれかな)への社会の保護の視線が高まった。
 このあたりの子どもの感覚と、
 安田講堂浅間山荘が、ああ、団塊世代のやつらの末路はああだ、と子どもながらに見えた光景。
 これらが、私みたいなしらけ世代から新人類世代のへの過渡期の、なんというか、子どもの頃ら老いていた狭間の世代なわけですよ。
 整理すると、マスカル的にはポスト団塊サブカル的には新人類(アングラじゃないよという感覚)、が、あったので、二面的。
 で、若者文化というのは、団塊世代からその末期のマスカル的な現象だったわけで、彼らは「若者」で、年寄り(戦争犯罪者なみの扱い)への攻撃というか差異の主張に満ちていた。
 で、私みたいなポスト団塊しらけ世代は、最初から、若者の終焉だったわけね。というか、サブカル逃避の道が見えたころだった。
 ほいで。
 団塊世代のご子息さんは、そういう私の世代のことを知らないで、現在の家庭やマスメディアや体制を作っていったプロセスにある。
 っていうか、団塊世代のご子息さんは親の世代によく似ているなと思う。
 以前も書いたけど、福田和也とか猫猫先生とか、若い世代だなあと思う。そういう感覚が、年寄りみたく見えるのだろうけど。
 坪内祐三浅田彰高橋留美子とか、ああ、同世代だなあと思う。