国民性?

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派遣村を叩いている個人の「自己責任」を問うてもそれこそ波平の頭(ほとんど不毛)なので、日本人の国民性から考えてみる。

 はて?
 国民性?
 山岸俊男の話が元なら。

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安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書): 山岸 俊男

 それでは、日本人の集団主義文化はどのようなものとして考えるべきでしょう。この点に関して筆者は、日本人の集団主義文化は個々の日本人の心の内部に存在するというよりは、むしろ日本社会の「構造」のなかに存在しているのだという立場をとっています。

 先の実験結果を説明するにあたって、筆者は集団主義を一人一人の日本人の心の性質として考えるのではなく、社会のしくみとして考える理由を述べておきました。

 というわけで、山岸俊男の文脈なら、日本人の国民性から派遣村を叩いている個人の「自己責任」を問うてもそれこそ波平の頭(ほとんど不毛)なので、社会のしくみとして考える、ということになるはず、なんだけどね。
 で。

 つまり筆者がここで言いたいのは、差別の文化は個々の人間の頭の中にあるのではなく、差別を生み出す行動を適応的な行動としている社会のしくみの中にある、そしてそのしくみを生み出し維持しているのは、差別社会への人々の適応行動なのだということです。

 差別社会という社会のしくみがあって、日本人はそれに適応しているというわけで、国民性じゃないよ、と。
 じゃ、その差別社会はどうしてできているのか、というと。

 このように、日本社会における差別の根強さは、その多くの部分を終身雇用制に代表される安定雇用を生み出す社会のしくみに、その基盤をもっていると考えられます。

 ほぉ。
 安定雇用を生み出す日本社会が反面で差別を生み出しているのだよ、と。

このことはもちろん、男女差別だけではなく、たとえば学歴差別などについても言えることです。

 各種の社会差別の根は安定雇用にあり、と。

 これまで何度も繰り返し述べてきたように、現在の日本社会は終身雇用制を含む安定したコミットメント関係が急速に弱まりつつあります。ということは、雇用の流動化にともない、人材の採用に際しての不確実性が小さくなるはずですから、統計的差別の必要性が小さくなるでしょう。その結果、男女差別も学歴による差別も急速に少なくなっていくはずです。これからの日本社会は、雇用の安定と引き換えに、差別の撤廃を手に入れることになるでしょう。

 つまり、山岸俊男の文脈だと、雇用の流動化が進展すれば、日本社会に組み込まれていた差別はなくなりますよ、と。
 でも、差別の撤廃は雇用の安定と引き換えだから、雇用の安定のほうはないですよ、と。
 雇用を安定化させようとすると、差別が日本社会に組み込まれているまんまですよ、と。
 山岸俊男の文脈だと、ま、そうこと。
 私がそう思うっていうことじゃないけど。
 
 そういえばその他の越冬闘争の風景⇒「名古屋越冬闘争突入集会」…派遣切り難民はたった3人? dr.stoneflyの戯れ言/ウェブリブログ

そう、知らないのだ。
この秋、この冬、突然すべてを失って路上で途方に暮れる人は、
オケラ公園に集まり、闘っていることを。
団結し、声をあげていることを。
もう何十年もここで繰り返し闘っていることも。
ずっとずっと同じことを繰り返し訴えてきたことも。