徳川時代の面白さ

 猫猫先生『カムイ伝』に挫折した私 - 猫を償うに猫をもってせよ

 まあ単純に、筋が面白くないから面白くない。その根源を尋ねると、徳川時代というものが面白くないのである。たとえばフランスの小説なら、フランス革命から、それ以後のいくつかの革命を舞台としたものがたくさんある。しかし徳川時代には、革命は起こっていない。なのに白土三平は、革命が起こるような世界を描こうとしている。しかし史実は変えられない。だから面白くないのだ。徳川時代そのものが、フィクションの題材として面白くないのである。現代日本も、徳川時代に似てきた。

 その感覚は半面ではよくわかるなと思う。
 あと半面は、だから、小林秀雄の「本居宣長」の問題、つまり、静かに行われた思想の劇ということがある。
 そしてこの静かな劇を小林はまるで宣長のように洗練した形で現代に召喚してしまった。いや、理解されてないから、召喚失敗かもだが。
 この問題にどれほど劇が潜まれているかは、「現人神の創作者たち」を待つことになる。
 それとは別に、江戸時代というのは、経済システムとしてみると非常に面白い。