読売社説 元厚生次官襲撃 出頭男の動機が見えない : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 社説の体をなしていないが、ある年代上の人の感覚はうまく表現しているから、この社説もありだろう。
 狂気というのはその内部の論理性に従うことで理解できる。
 これはすごい本だよ。

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知覚の呪縛―病理学的考察 (ちくま学芸文庫): 渡辺 哲夫: Amazon.co.jp
 ただ、ある意味、本当は身も蓋もない本でもある。
 そして、たぶん、ある種の「悪」が問われてくるが、そこでとても不思議な問題になる。
 余談にそれていくが。
 人がそうした不思議な問題に直面したとき、現代の心性の水準では、宗教のようなオカルトみたいなことになりかねない。宗教がむしろ資本主義に結託している現状では、宗教性はより非合理的なものになる。そこで、それは非合理ですと割り切る臨界はどこに現れるか。市民社会の原理としては、広義の科学性と市民運動だろう。そして後者は、こういうとなんだが、科学的であっても非科学的であってもよい。ここは誤解されるだろうから、補足すると、結果として非科学的な端緒をもっても、市民社会止揚されるものは必ずや近代学的なものに変性するプロセスを踏むからだ。