上座部系の仏教は科学と馴染みやすいです

 弾小飼さんもお好きみたいだけど。
 ⇒12時超えました - 開発チエの日記

いずれ、まじで修道院行くかも知れませんが、科学信仰を捨てるのも難しそうです。

 というとき、上座部系の仏教は科学と馴染みやすいですよ。
 日本ではあまり知られないかも、いや知られているのかなわかんないけど、米国でも意外と上座部系の仏教が、マインドフルネスとして盛ん。
 ⇒極東ブログ: マインドフルネスとしての仏教
 ただ日本の上座部系の仏教は、弾さんお好みのA・スマナサーラ師ではないけど、アジアから直輸入みたいなのがあるけど、個人的には、米国経由のほうがわかりやすいんじゃないかな、ただ、解説書は英書になるか。
 これはけっこうプラクティカル。とくに勧めるわけではないけど。

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ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践: 地橋 秀雄
 チベット系の仏教とか、ダライラマのようなゲルクとかもだけど、日本人で好きな人は多いと思うけど、そしてこれをいうと上から目線のようだけど、チベット仏教というのはかなりむずかしいですよ。大乗の上の金剛上があるというのがわからないという部分があるのだけど、その内、非ゲルク的なチベット仏教に吸い込まれてしまう。というか、ダライ・ラマはそのあたりにこやかにオッサンしているけど、微妙にいつも指導しているのだけど。
 参考というか⇒極東ブログ: 仏教入門その2
 話戻して。

灰色の雲の合間の青空は美しく、植物はただそこにあり美しく、連れてた犬はキャタキャタ喜んでて、まるで神が昼間の落ち込みを慰めてくれてるようにさえ思いました。私、こういう体験、結構多いんですよ。神から愛されてると勘違いしそうなくらい。

 そのあたりはこれ、参考になるかも。

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孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫): ルソー, Jean‐Jacques Rousseau, 青柳 瑞穂
 あと、この系では、クリシュナムルティのがいろいろあるけど。これは本人自筆だけあってすごい。むずかしいといえばそうだけど。
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しなやかに生きるために―若い女性への手紙: ジッドゥ クリシュナムルティ, Jiddu Krishnamurti, 大野 純一
 とか。
 こにゃこにゃこアフィリってしまったけど、この手の本は迷路になるばかりというのはある。
 美もそうだけど、宗教的な体験、さらにはその組織的な体験というのは、その階梯のなかに真理を自己身体に写し取るような実感がともなうので、ついドツボったりその中で終わる人が多い。
 十牛図はそのあたりのアイロニーのはずが悟りへの階梯と読まれがち。
 ⇒十牛図 - Wikipedia
 この手の話は、宗教とかスピリチュアルとかまあいろいろラベルされるけど、そういうもんじゃない部分も大きい、と思うけどね。
 というか、そういう人生の側面を冷笑すれば、それなりの反動があって存在は浅薄になる。