「多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス(三浦俊彦)」読んだよ

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多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス: 三浦 俊彦

「私」 のいない宇宙はありえたのか
超能力も輪廻も終末もオカルトも、『トリック』 も幸福論も多宇宙も。なぜ論理を尽くさないのか? 厳密なロジックで誤謬を暴き、「人間原理」 で錯覚を正し、観測主体(意識)と宇宙とのあいだを解明する。

【目次】

まえがき

序 この世に生まれることの難しさ / 輪廻の必然性
 1 「私」 という不合理
 2 純粋個体と純粋自我
 3 繰り返す 「私」
 4 重なり続ける 「私」

Ⅰ 超能力と超難問

1章 語用論的独立性 ――仮説と証拠の、正しい関係
 1 〈手品〉と〈この手品〉
 2 〈予言〉と〈首輪の予言〉
 3 仮説確証のための必要十分条件
 4 〈全体的証拠の同定〉と〈語用論的独立性〉

2章 意識の超難問
   ――疑似問題から純問題へ 「私はなぜ他の誰でもなく、三浦俊彦なのか」 の誤謬
 1 意識の 「超難問」 ?
 2 本物の問題へ――機会コスト、ナルシシズム、そしてカオス
 3 ファインチューニングの謎

Ⅱ 多宇宙と多精子

3章 強い人間原理 ――多宇宙説がすべてを解く?
 1 ファインチューニングはいかに説明するか
 2 多宇宙は〈この宇宙〉を説明しているか?
 3 逆ギャンブラーの誤謬?

4章 指示の因果説 ――「私」 の誕生 どこに確率が作用するのか
 1 多宇宙、多惑星、多生態系
 2 指示の因果説
 3 多宇宙と多精子
 4 宇宙の全体論

Ⅲ 文明の終末

5章 事前確率と事後確率 ――「論理で終末を予測」 できる時代 その1
 1 「終末論法」 への反論
 2 仮説とデータの依存関係
 3 終末論法ふたたび、そして再反論
 4 終末論法みたび、そして再々反論

6章 終末論法の構成的ジレンマ ――「論理で終末を予測」 できる時代 その2
 1 地球人であることは 「私」 の本質か?
 2 地球人であることは〈全体的証拠〉の一部か?
 3 自己言及的反論
 4 準拠集団の恣意性?

Ⅳ 皆既日食の原理

7章 強い観測選択効果 ――「論理で終末を予測」 できる時代 その3
 1 準拠集団の制限は正当か
 2 あなたはなぜ、人間の平均よりずっと知能が高いのか?
 3 ウルトラファインチューニング
 4 皆既日食の原理

8章 SSSA ――皆既日食が本当に意味すること
 1 ウルトラファインチューニングへの諸説明
 2 ファインチューニングは神を反証する?
 3 「強い観測選択効果」 と 「強いSSA」

Ⅴ 眠り姫問題

9章 一人称的確率問題 ――眠りの森の美女
 1 一見単純な確率問題だが・・・・・・?
 2 明晰なあなたと茫然たるあなた
 3 仮説の自己確証


10章 極端な眠り姫問題 ――安眠のための徹底考察
 1 傲慢な思弁、無謀な賭け
 2 コインはいつ投げられるのか
 3 主観的にフェアなコイン
 4 繰り返し実験再解釈、そして終末論法

Ⅵ 輪廻転生

11章 霊体、ゾンビ、そして転生 ――「同一人物」 とは何か
 1 グルジエフの原理
 2 魂仮説とゾンビ仮説
 3 有意義な概念的相違
 4 輪廻転生観の論理

12章 いのちと解脱 ――輪廻する倫理
 1 生まれそこねた命と 「二つの常識」
 2 未来世代と過去断罪
 3 自殺肯定論
 4 解脱の倫理

終章 輪廻か多宇宙か
 1 輪廻転生観と様相実在論
 2 輪廻転生観と多宇宙説

あとがき
参考文献

付論 「意識の超難問」 の論理分析

 ディテールまできっちり読み込んだわけではないけど、ああ、そうだよねとそれなりにけっこう納得した。
 つまり、本書のいう輪廻転生。
 私もすでにちょこちょこここだのTwitterとかでもほざいているけど、輪廻転生みたいなオカルトかよ気違いみたいなことをそれなりに理詰めで考えていたので、ほほぉこれはいいツールかもみたいな感じでした。
 でも誤解なきように言えば、別に輪廻転生を信じてるということじゃないので、そこんところはよろしく。
 話を戻すけど、こんなものかな。
 あと⇒三浦俊彦の世界(MIURA Toshihiko's World):〈人間原理〉と〈可能世界〉のページ
Anthropic Principle & Possible World 予備のページ

 「眠り姫」問題は本書の定式どおりなんだけど、中島義道が言っているところとちょっと関連して思うことはあり。

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「私」の秘密―哲学的自我論への誘い (講談社選書メチエ): 中島 義道
 ぶっちゃけ言うと、死と眠りは、意識主体からは区別できない。
 ようするにこれは、眠りに関連する意識保持の権利みたいなものと、時間・確率論でもある。
 道元大森荘蔵的には答えが出ていて、つまり時間の迷いに過ぎない。確率というのは実はなにも語っていないということ。このあたりは、三浦俊彦の議論とちょっとぶつかる。