これなんだが

 ⇒50歳を過ぎてわかったこと:アルファルファモザイク
 ぶくま⇒はてなブックマーク - 50歳を過ぎてわかったこと:アルファルファモザイク
 私も50歳なんだけど、微妙に違和感があるんですよ。
 どこが違和感なのかと思うに、あれ、私の上の2歳くらいのところで、世代の断層があって、このコピペの諸賢は私より上の層にいるっぽい。
 私とどう違うのかというと、微妙なんだけど、基本的に彼らは若者文化で社会の中心的な層であり続けて、それが老齢化というか、必然的な崩落的というか頽落というのがある。でも、私の世代からはそんなものは最初からあるんです。そして私の下の世代は最初から老いている。ただ、今の40歳あたりでちょっとバブリーな反動があり、特に女性であるかもしれないけど、長期的な傾向としては安定した社会であり、若者が団塊世代以降消費対象として規定された文化のなかにあって、最初から希望なんていうものはない。か、あるいは、個人のスタンドプレーの畸形なサクセス神話があり、それらがジラール的な欲望を喚起してデッドエンドまできたのが現在の状況でしょう。
 このコピペに戻ると。
 私なんかも爺とかオサーンとか見られているけど、このコピペの発言のトーンは私より上のオサーンが見える感じがする。なんというか、正直でヴァルネラブルな怯懦の感性がなくて語り出したら男は終わりだぜという、若さとも老いともは違った間隙の感覚が抜けている。
 あと。

172 名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/15(火) 03:18:01 ID:+471lmoQ
>>170さん
やさしいレスをくださり感謝します。
このスレはじめこの板は、父と同年代の方が多くいらっしゃると思うので
父もこんな気持ちになることがあったかな、とかしみじみと
想像させてくれて、父の足跡をたどれるような気持ちで夢中で板をめぐりました。

 失礼な言い方になるかと思うけど、そこはちょっと違うというか、自己完結的な父親幻想だろうと思う。というかそういう父親幻想を若い世代にステレオタイプに形成するようなありかたはなにか違う。
 歴史の感覚の欠落が、ある種のプリミティブでネイティブな情感で偽装されているように思える。
 オノ・ヨーコはいろいろに語れるけど、実際の肉声を時代のコンテクストで読むといろいろ考えることがあると思う。彼女は今の10代20代からするとお婆ちゃんだけど、彼女のような考えが団塊世代のあるコアになっている。

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ただの私(あたし) (講談社文庫): オノ ヨーコ,飯村 隆彦