朝日社説 兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ : asahi.com:朝日新聞社説

 これ社説で扱ったか。今回の事件だが、やはり現地にいないせいか、どうもディテールがわからない。広義に基地被害としてもいいのだが、犯罪が確定していないふうにも見える現状、この個別の問題への言及は控えたい。

 思い出されるのは、95年に起きた米海兵隊員3人による少女暴行事件である。この事件をきっかけに米兵による犯罪や事故に対する県民の怒りが大きなうねりとなり、抗議の県民集会には8万5千人が結集した。

 このとき私は沖縄に暮らしていて、事件後数日でこの事件を知った。タイムスも新報も報道したがそれほど大きな扱いではなかったかと思う。ただ、連日報道し続けたので経緯を見ていた。その間、私は本土大手紙の情報もワッチしていたのだが、当初時事に流れただけで、その後、二週間くらい空白があった。その空白があまりに奇妙だったので、こういう事件があるというのをパソコン通信に書いたり、知人とも話をしたりした。沖縄の知人とも話した。憤りは当然あるのだが、あの時代、そして私は比較的年長の沖縄の人の感覚が知りたいのでよく聞いていたのだが、まずベースにある感覚は、こうしたことは日常茶飯事であるということだった。そして今回もそれほど問題にならなく消えていくという印象を持つ人がいることだった。
 本土で問題になる少し前だが、米国でこの事件が問題となりつつあることを知った(ちなみにあのとき本土大手紙はどちらかというと米国で問題化したのを受けて問題としていた)。いくつか関連のニューズグループを登録してワッチした。彼らが一様に関心を持っていることは犯人は黒人だろうということだった。そんなことが話題なのか、沖縄はどうなのかと思った。その違和感は痛烈だった。そして、米国での報道から犯罪の実態を知った。暴行ではない、凶悪なレイプ事件だった。というか、私もぼんやりレイプであることはわかっていたが、詳細な米報道で明確に認識した。しかもそのやりかたなのだが、最初に袋詰めであった。非人道的極まるもので今思い出しても怒りがこみ上げてくる。
 その後北朝鮮による拉致でも袋詰めという話を聞き、さらに調べてみるといろいろわかることもあった。おぞましい歴史というのもそれなりに歴史というものをもっている。

 米軍当局は毎回、「綱紀粛正」や「二度と事件を起こさぬ」と約束するが、事件は後を絶たない。効果のあがらない米軍の対応に、県民の怒りと不信感は頂点といっても過言ではない。

 現地の感覚で思ったことは、それもだが日常生活で怖いのはYナンバーだった。このあたりの感覚はナイチャーには通じないなと思う。もちろん説明してわからないわけではないのだが、なにかがああ伝わらないものだと思った。悲惨というのは一時の事件ではなく、他者にとっては悲惨とは忘れ去れる些末なエピソードなのだ、そして当事者は悲惨それ自体の風景として生きなくてはならない。
 もう一つは、米兵側の日本への恐れだった。これも日本人にはなかなか通じないものがある。

 日本にある米軍専用施設の75%が沖縄に集中する。なかでも負担になっているのは海兵隊である。海兵隊員による事件が際立っており、海兵隊の駐留に対する県民の反発は強まるばかりだ。

 海兵隊の兵士ともそれなりに話したが、彼らは基本的に沖縄という認識を持っていない。持っていないわけではないのだが、一種のリゾート地のように思っているし、彼らの大半は若く月給も10万円程度で(今でもそうではないか)、そしてぱらぱらと死地に送られる現状があった。そのあたりの、ある種の圧倒的な生活の意識感覚、もっと言うと、彼ら一人一人が無感覚にならないとやっていけないような米国での不幸のようなものを背負っていた。
 海兵隊は過ぎ去る人なのだが、わずかに沖縄にシビリアンとして残る。恋愛も多い。沖縄に恋しているようなシビリアンも何人もいて、滑稽なほどの親日性や沖縄への愛情を注いでいる。それもまた泣けるような悲劇と言っていいものがあった。
 海兵隊もまた沖縄を過ぎていく。そしてナイチャーたちも沖縄を過ぎていく。うちなーんちゅはある意味で多様だが、自分は島だ、そしてナイチャーは去っていくでしょという普通のなんというか途切れた視線を随分受けた。そして私はそれを自然に受けいれつつ、こっそりと自分はこの島で死ぬつもりでいるのですよと思いつづけたし、そうなるものだと思っていた。そしてその思いが沈殿しつつあるとき、日本人(ナイチャー)というものが見えてきた。愛情と嗚咽のような入り交じったなにかで、それは自分の存在で受け止められるような規模の問題ではないと思った。私はある意味でその矛盾にこっそりむしばまれ蹉跌した。と、いつもの述懐をしていてふと思ったのだが、もしかすると神が存在して、私がすがりつこうとした死の勝利のようなものを打ち砕かれたのかもしれない。私は生きたいと思うようになったのだから。