愚痴といえばそうなんだけど

 というか、そういう循環回路に嵌っていてもなんだけど。
 そして理解してもらいたい、という話でもなくて、どうも微妙でいけないんだけど。
 理解してもらいたいなら、そういう表現のしかたがあるというだけ。
 そうしないのは、そういうしかたの努力が逆に孤独を深めてしまいかねないので、そこを避けたいなということ。
 この感覚は、そうマジョリティの感覚でもないけど、そうマイノリティの感覚でもないと思う。
 昨日の例でいうと。
 ⇒ちょっとへぇな話 - finalventの日記
 この話はこういう経験がないとちょっとわかりづらいところがある。弾さんもそういう立場にいらしたはずの上でばさっと書いているのだろうけど、そのあたりの機微みたいのがうまく伝わっていないように思える。ただ、弾さんはそういう伝わらなさみたいのを組み入れてばさっと発言してしまうのかもしれない。
 基本的には、悪人とは思えないような人が非常識なことをしたら、自分をその場に身を置いてみるなりの想像をして、なにか違うなと思う。ただ、そのあたりは言いづらい。
 と見回してみたら、村長、さすがな村長ぶり。
 ⇒ドリコムを退職した人がドリコム経営陣を批判 - ARTIFACT@ハテナ系

ブクマなどで「こういう記事を辞める際に公開するのは無責任だ」という意見が結構あったけど、経営状態が悪くなった会社に勤めた経験から言うと、こういうことを書きたくなる気持ちは非常にわかる。公開の場で書けば、当然こうして悪い感想を持たれるのも覚悟の上だろう。何よりも上場企業なんだから、株価に対する風説と言われ、会社から訴えられる可能性などのリスクも想定しているのではないか。だから、辞める会社が沈没したあとに書くのが一番いいんだろうけど、でもこの時期に言わないと…と思う気持ちもよくわかる。

 同感。そして、さらに。

これは推測だけど、ここに書いてあるようなことは上に言ったんだとは思う。でも通じないのが、やばくなった時の会社の経営者だ。そういった経営者を見たことない人は幸せな会社に勤めていたということで。

 このあたりは娑婆の風とはそういうものなんだと思う。
 カノセ村長、ご立派。次期村長後援会名簿にfinalventと入れといてくれ。