懐奘

 道元をある程度知る人なら、懐奘を知っているし、懐奘が道元より年上であることも知っているはずだ。が、「随聞記」などを見ているとそのあたりをつい失念しがちだし、そしてそのことを想起するごとに不思議なインパクトを精神にもたらす。なにより、「随聞記」とは、もしかして、この世に現れることのない書籍であったかもしれないということに、歴史というものの怖さを思う。
 ⇒「 正法眼蔵随聞記: 本: 水野 弥穂子」
 懐奘の年齢でもう一つ大きなことは彼が道元禅師とは異なり、長命であったことだ。82歳まで生きていた。親鸞のような怪物もいるが、この時代82歳とはそれだけで大衆にしても弟子にしても仏の功徳のようなものだろうし、たぶん、懐奘は道元禅師に命を分けてもらったのだと確信していただろう。懐奘にとって道元とは本当にそのままに仏陀であっただろう。
 私が、あれだけ傾倒した親鸞より、結局は、道元により心を寄せるようになったのは、道元の、なんというか拙い言い方だが、その果てしない優しさにある。禅師はとてもきびしい人だが、優しさの極地にその厳しさがある、というと拙いが。禅師にはどうしようもないほどの悲しみと孤独と怒りがあり、それが果てしない優しさになって現れるあたりに皮肉な言い方だが仏教というものを思う。ただ、そう言ってもしかたない。
 水野弥穂子先生の
 ⇒「 『正法眼蔵随聞記』の世界: 本: 水野 弥穂子」
 を読むと、懐奘が臨終の母に会いにいくべきか懊悩した推測が描かれている。それは本当のことではないかと思う。道元禅師はその問題に直接的には触れない。だが、結果として懐奘は道元の教えに従うような形で母に会うことはなかった。そのことが、たぶん、懐奘において道元への終生の感謝でもあったように思う。
 人の心というか人生というのは、本質的にわからないところがあるし、そこは本質的に過ちうるという意味で自由の領域だろう。道元は懐奘の懊悩を裁かなかった。しかし、同時に具体的に一つの生き方として仏法を示したのだろう。
 懐奘を思うと、道元禅師のような方に今生で会えたことへの、なんというか嫉妬のようなうらやましさも感じられないではない。ただ、それは、かなりたぶん、欺瞞というものだろうし、懐奘にそのことを問えば、否定されるであろう。