散策して懐かしい風景を見ながら
その頃の気持ちを思いだした。
この世界に本当の何かがあるなら、それはなんだろう、と、痛いにように思っていた。あのころ、その希求だけはあった。そしてその痛いような希求が、各種の混乱した身体的な欲望と入り交じって、自分というものがわからなくなっていった。
冷静に考えてみれば、その自分がわずかであれ世界にアウトプットしているものが混乱そのものなのに、なぜ自分にその本当の何かが引き寄せられるというような感覚を持つのか。そして、今にしてみると、自分の中の抑えがたいような痛みのような、惨めな感覚があるだけだし、それは歳を取るにつれ、減衰はしていくけど、本質はあまり変わらない。
生きていると、まわりの風景のなかで、人が倒れ、死んで、消えていく。
そしておそらくなんの解決もない。
理不尽な死の宣告の前に、たぶん本当の何かみたいなもののを妥協して、そしてタイムアウトで終わる。
無常迅速。
話はずれるが。
道元は、初期の文章ほど心に響く。痛いにように響く。後期になるにつれ、道元が何を考えていたのかわからなくなる。
もっとも、道元自体、あれだけの文章を書きながら、実際のコアはごく一時期だったようだし、後期の文章も本当に後期なのかわからない。また、ごく一時期だったとして、道元は一気に語り尽くしてあとはその編集だけしていたのだろうか。
禅師は52歳で死んだ。おそらく悔いというものは無かっただろうが、どこかしら自暴自棄のようにも見えるし、その部分、道元の悲しみのようなものが感じられる。おそらく禅師はすべての悲しみを越えただろうに。
ウィキペディアを見ると、
とあり、永平寺を固めたのは46歳だったか。たぶん、気力も一番充実していた時期だろう。禅師は東国で何を思っただろうか。希玄の号の思いはなんだっただろうか。
禅師の人生を見ると病気は偶然でもあるように見えるし、そして先自暴自棄とも言ったが一種の捨身のようにも思える。
道元を知るにつれ、私にはある種、童子の道元というイメージが湧く。悲しむこともできないほど悲しい気持ちを抱いた孤独な少年。