うまい文章?

 ぶくまを見ていると定期的にというか定常的に文章術関連のものが上がってくる。が、私の見た範囲ではこれはと思うものは一個もなかったように思う。というか、どれもこれもそれはすでに聞いたよ、みたいなのが多い。
 私は文章がうまくない、というか下手だ。というか、文章というのは自分の身体のようなもの、というか、心の形みたいなものあるいは内臓の形みたいなものなので、どうとなるものじゃない。ただ、いわゆる文章うまい人は人の存在としては弱い。あるいは、文章がうまい人はその人の生き身の身体が伴っていない感じがする。批判ではないつもりなのだが、最近はネットにいないみたいだが松永さんは各種の文体を駆使して見せる芸をときたまやっていた。さすがなものだなとは思うが、彼自身の息づかいの殺し方がうますぎるのではないかと思った。
 あと、なんども書いたのだけど、ある種の雰囲気、詩情的というのか、あるいは偉そうなスタイルというのか、そういう気分に依存した文章は一見一読うまそうに見えるのだが、ネットで言うところのオナってやつだろう。たぶん、そういう文章を書く人は実はただの永遠に読者という人なのだ。特定の文章ばかり読んで、あるいはよいと思う筆者の文章ばかりよいと思っていることの延長でしかない。
 うまい文章というのは、ビジネス的な達文というのでなければ、たぶん、生きる形の先にしかないし、結局そのこまで書き続ける人の業というものがなくてはかなわない。残念なことにその業そのものがあるスタイルに親和的というのがある。
 文章のスタイルというのは文章の身体性に似ている。しかし、たぶん文章の身体性というのはまさに生き身の身体性から出てくるものなので、むしろスタイルを意識して抑制するか技巧をつぶして書いていくほうがいいのではないか。書くというのは結局身体の果てまで歩いてみせるということでしかないのだし。