べたなメタ思考

 このところべたなメタ思考に浸ることが多い、言い方はなんだが。以前なら、べたにメタ思考というか哲学的な世界にどーんと沈んだが、最近はあまりそうでもない。もっとなんというか、べたなメタ思考というか、メタな思考をスキーマティックに考えている。たとえば、ピュシスというのはハイデガーの考え落ちみたいにも思うことがあったのだが、先日素のnatureという言葉を考えつつ、意外とハイデガーもべたに考えただけかもしれないという気がしてきた。ゲシュテルについても、けっこう単純に納得できそうだ。風車はゲシュテルじゃないというあたりはどういうこっちゃかと思っていたのだが、昨日散策しながら、風が止まれば風車は止まると思った。搾取していない、屈している。人は、運命に対してそうであるように、屈して生きているものだった。