ついでにクリシュナムルティについて

 クリシュナムルティの愛読者はそれなりに多い。みんな勝手に読んでいる。私もその一人以上のものはない。その限定で言うのだけど、クリシュナムルティを理解するときに一番大切なことは彼を聖人と見ないこと。普通の人。彼の教えを学ぶときの、逆説的に重要なことは、「私がいなかったらみなさんはどう学びますか?」。つまり、クリシュナムルティという人は不要だということ。
 で、さらに逆説的に、だから、クリシュナムルティという人に関心があるなら、ルーチェンスの伝記とか読まずに、これを読んだほうがいい。
 ⇒「 キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ: 本: マイケル クローネン,Michael Krohnen,高橋 重敏」
 
追記
 これもウィキペディアの項目があった。へぇ。
 で。
 ⇒クリシュナムルティの思想 : ジッドゥ・クリシュナムルティ - Wikipedia

クリシュナムルティの思想の中心となる主題はあるがままの認識である。クリシュナムルティにとって「あるがまま」とは、実在、真理、神、愛、自由、無限、永遠、創造などと同義語である。その対極として闘争、矛盾、恐怖、欲望、習慣、努力、自我、観念などが挙げられる。後者が前者(真理)と対極になるのは、それらがあるべきもの(観念)を求める精神の働きであり、あるがままのものの認識からの逃避であるからにほかならない。

 これはクリシュナムルティ理解としてはすごく間違っている。「あるがまま」が「闘争、矛盾、恐怖、欲望、習慣、努力、自我」で、そうした、「あるがまま」を覆い隠すために、「真理、神、愛、自由、永遠」といった観念を思考が作り出す。というか、この説明でずらずらならんだ概念の扱いがぞんざい。クリシュナムルティはもうすこし丁寧に個々の概念を扱う。
 でも、ま、どうでもいいやと思う。そんなことはそれほど重要なことではないし。