ジャン・ボードリヤール、死去

 ⇒仏の哲学・社会学者、ジャン・ボードリヤール氏が死去 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 てか、生きていたのか。
 ドゥルーズも生きていたら今頃天命?
 ボードリヤールは、なんつうか、コピーライターって感じかな(フランス語で読むと訴求力があるのでは)、直感的にはあってるんだけど、理論背景もなければ議論もめちゃくちゃ。あのめちゃくちゃさ加減がポストモダンだと誤解ってか理解されていたのだからなんだかな、と。
 文庫になってんだ⇒Amazon.co.jp: 象徴交換と死: 本: ジャン ボードリヤール,Jean Baudrillard,今村 仁司,塚原 史
 わけのわからん爺対決⇒Amazon.co.jp: J.ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る―あるいは消費社会の行方について: 本: ジャン ボードリヤール,吉本 隆明,Jean Baudrillard,塚原 史
 私は自身が吉本主義者とか冗談でいうけど、実際にはかなり思想は違うとこ多いなってか、私はけっこうアカデミズム臭い人ではあるな(ってなこというと誤解されるだろうけど)。ま、吉本についてはその総体が見えない人、特に団塊の吉本理解はもうどうでもいいよと思う。60年代の転向論から80年代の高度資本主義の理解で、吉本はいわゆる吉本シンパは二度振り捨てた。そして、90年代のオウム事件でさらに振り捨てた。捨てたでいい。昨今の糸井や中沢の吉本びいきみたいのは醜悪の極み。
 ただ、吉本っていう人は真のところではまるで変わらない原則べたな理系爺なんだよな。ある意味で馬鹿そのもの。で、この爺さんには、ほぼ完敗かなと私は思う。きちんと耄碌して死んでいく、吉本さん、偉いよ。泣けて泣けてしかたない。俺もそうやって耄碌したいよ(すでにしてんじゃんかのツッコミ禁止)。日本近代民衆の最初の勝利だよ、いや違うな、そういう勝利は常にあった。日本大衆はけして負けてこなかった。吉本が爺になって耄碌して、それでも、その父母の大衆性にはかなわないなとつぶやいとき、私は日本人とはなんであるかが少しわかった。そしてそこで常に国家は相対化される。