池田晶子、死去

 ⇒asahi.com:「14歳からの哲学」池田晶子さん死去 46歳、腎がん - 文化一般 - 文化芸能

 27万部のベストセラーになった「14歳からの哲学」で知られる文筆家の池田晶子(いけだ・あきこ、本名伊藤晶子=いとう・あきこ)さんが2月23日、腎臓がんのため死去した。46歳だった。葬儀は近親者ですませた。

 癌がわかって一年未満か。
 この人の文章や本はいくつか読んだが、お父様はご立派でしたわ、という以外よくわからなかった。しかし、本人は哲学のつもりであっただろうし、哲学とはおよそそんなものだ。そしてであれば、死のレッスンでもあった。
 とはいっても、気が付くと、人はあと一年も生きられないということがある。
 無常迅速。
 ⇒池田晶子さんが死去 哲学エッセーの文筆家 [CHUNICHI WEB PRESS]

喪主は夫伊藤實氏。

 結婚していたのか。

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新・考えるヒント: 池田 晶子
 これは趣向としては面白かった。
 ある意味で小林秀雄をよく理解していた。
 小林秀雄には、私もそうだが、心酔者が多い。これは、同じく私が心酔する、吉本隆明山本七平についてもそうだ。森有正などもそうだ。そして、そうした心酔者が多いがゆえに、くだらないと単純に考える半可通のインテリモドキも多い。まあ、それでへいへいと過ごせるならそれでご勝手に。
 だが、小林秀雄を読むということは、単純に言えば、「本居宣長」を読むということだ。そして、どういう了見だかわからないが、小林としては売文屋としての良心としてベルクソンを隠したのだろう。だが、そこを読まずして「本居宣長」には接近できない。それが正しい読み方とは言わないが。
 が、江藤淳が若いころ新進気鋭ということで小林秀雄と対談しているが、今、読み返せば、江藤は、こう私が言うは僭越なのだが、やはり、小林を理解していない。
 小林秀雄の恐ろしさはこうして「本居宣長」を70歳の地点で残したことだ。私は、もしかなうなら70歳まで生きて、この本を本当に読み上げてみたい。と同時に、50歳を越えたあたりで、思索者にはこうした課題が起きる。
 池田晶子については、私は単純にわからない。だが、その坂のとば口で倒れる哀れさを思う。
 思索者は生きて、老いて、見るべきものを見果つ、という生き方が「道」として残されている。それは単純にいえば、希望でもある。
 ⇒江藤淳とは - はてなダイアリー

1999年自殺により死去。遺書は名文であった。
 
心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳

 名文ではないよとまでは言わない。江頭淳夫として死ねなかったことも問わない。彼が抱えていた女の問題についても問わない。ただ、私は、これを諒としない。