ま、少しだけ、はてな村の一日

 ⇒煩悩是道場 - 無題(書きかけ)

だから、結局はわかろうと思ってくれる人しか、わかりはしないだろう、と思う。

 私も自分とか自分のエントリ内容への誤解や攻撃とかあると、ま、そんなふうに思う。ま、そんなもの。
 で、じゃ、ululunさんの日記とかululunさんが、というと、私から見てというだけなんだけど、わかろうというのではなく、別にululunさんだからというわけではなく、理解しようとして読みますよ。
 「理解する」と「わかる」の意味を微妙に分けようとか思わないのだけど、なんというか、私は、ululunさんをわかろうとは思わない。書かれた物は書かれたものとして普通に理解しようと思うだけというか。
 で、これまでの経緯でいうと、たいていは理解できる。理解しやすい。
 もうちょっというと、理解しやすい主張がなんでこんなに変な印象を与え面白いんだろうとは思う。分裂君とかだと、食いつきは理解しやすいし知識と知性がかいま見えることがあるけど、結論だけみると理解しやすいものでもない。そのギャップに芸を感じるし、ちょっと批判っぽく聞こえるかもしれないけど、それって芸?とか思う。
 で、ululunさんのは芸?かというと、そうではない。本当にそう思うことを本当に自分の気持ちに忠実に書かれているように思う。
 ちょっと悪口みたいな言い方になるけど、そういう意図はないのだけど、例えば。
 ⇒煩悩是道場 - 働かない者が食っていける社会は到来するか
 読む。理解できる。まるで、面白くない。手の込んだネタかと少し警戒する。ululunさんがそんなことするわけないかなと思う。
 つまり、これはこれで忠実に書かれている。分裂君が同じネタで書いたエントリがあれば、このエントリと中和するとゼロになるくらいにも思う。
 ちなみに、私は、エントリを書くとき、自分の気持ちに忠実に書くかというと、そうでもない、芸はあるかといえばあることもある。曖昧。
 ululunさんのエントリとか、率直に言ってそれが引き起こすリアクションを見ていると、まあ、ある種さわやかな感じがする。というか、素直に感じてそれに忠実に書いて字面は理解できること(失礼ながら主張が面白いとは限らない)がなんでこんなに面白くリアクションがあるのか、しかも、芸でもない。
 なぜなんだろうと思う。
 ululunメソッドとか言われるけど、そしてちょっとくらいは模倣もできる。でも、だれもそれを3個模倣できない。
 と、思う。
 一つの忠実な生き方というものかもしれない。ま、普通だとそういうのは孤独に閉鎖して言葉を出さなくなるようにも思うが。
 もしかすると、このエントリに対して、きちんと忠実にululunさんは批判を書かれるかもしれない。そう思わせる感じもしないでもない。