景気の話

 なんつうか。ま、与太話ってことで。
 きっかけは⇒404 Blog Not Found:もう景気はいいから
 弾さんが書いているとこういう話も笑って読めるみたいなところがある。引かれているこれも、たははというのはある。ブログの世界は意外な性善説の世界である、Web2.0だし。
 たはははこれ⇒大西 宏のマーケティング・エッセンス:景気が悪いという巷の声は当たっているが
 まあ、私なんぞも、経済音痴というか、どうでもよろしの部類であろう、ってことで、与太話にちょっとだけ参入。
 景気というのはグロスの効果と、実際の生活の消費の部分があって、後者は給料前のセブンイレブンの売り上げは低いとかとかとか。まあ、これは生活実感。ただ、これらの動くお金はただマーケットのスケールに依存するだけのこと。っていうか、デフレが進めば実質の可処分所得は上がっているに等しいので、生活の苦しさというは、意外とない、とまでいいきれないのが、カードローンとか街金利用者の存在とかだが、まあそれは捨象して、マジョリティの生活者は現状にそれほど不満でもない。っていうか、不満ならマジ自民党がもたないってばさ。
 で、前者のグロスというのは、これは端的に言えば、一生モンの買い物っていうか、不動産っていうかローンに嵌めるっていうか。ま、庶民からはそう。それ以外でも不動産が動かないと景気なんてどうしようもない。で、そのあたりの動きは現状、ぼちぼちでんなっぽい。人口縮退しているんだし。
 庶民的には、こうした不動産の購入っていうのは、つまり、べたにローンなわけで、これこそ、べたに生涯所得予想に相関する(だってそれがないとローンが組めないってば)。っていうことは、能力なんかさしてない庶民にしみてると堅い商売っていうか職業の鉄板がないとだめ。そのあたり庶民をどう支配者は活かさず殺さずかというのが、社会を維持する要。
 もうマジョリティは、捨象すれば、豊かなその日暮らし。なわけですよ。世界の貧困ラインからみれば日本なんてべたな天国ですよ。ただ、心の問題とかはそうはいかないにせよ。
 で、そのあたりの動きはもう以前の日本のようなモデルでなくなった。というあたりで、もう景気なんてものは日本に戻ってはことない……まあ、その意味では。
 で、じゃ、現状の数値上の好景気ってどうよなのだが、規模的にはどってことない。修辞の類ではあるし、デフレは終わってないっていうか、終わらないんでねーの。
 でも、現状お金は企業にじゃぶじゃぶしているわけで、このあたりは与太話の最たるところだが、ようするにそれが給与として労働者に還元されない。なぜよ、と?
 なぜ、企業のじゃぶじゃぶが労働者に還元されないのか?
 っていうか、それは、よーするに、日本社会の構造っていうことなんじゃないかと、思うあたりで、私は構造改革論者ですてば。
 っていうか、日本の場合、金持ちの存在は社会的に許されていない。階級もカネという面では実際には存在していないに等しいくらい笑ってしまう。
 じゃ、どのようにその階級が存在しそれが社会支配を行っているかというと、まさにそれ自体が権力のシステムを作り上げているから。ベタなところでは閨閥。それについで学閥。あるいは家柄。その維持にカネが投入され、そして庶民の参入でもっとネズミ講的にカネが吸い込まれるようになっているが、実際にそこに参入できる庶民なんかいないのだし、成金は成金の行動をとらないと社会的に消される。
 で、ようするに、日本の金持ちっていうのは、個人の資産ではなく、権力のシステムをリフレクトして、会社のカネを事実上私服している内々のインサーダーズ。まあ、そういうものが日本社会。(あと、社会主義的社会を維持して民間を排除するための公務員っていうか、公務員に準じるようないろいろ。)
 なので、会社にカネをじゃぶじゃぶさせておくしかない。 っていうか、そうしておけば、総体の日本社会の安定性も助かるし、日本の場合社会レベルが高すぎるのだからビンボ人も別に困らない。二千円あればカツ丼とか天ぷらとか、うへぇ、もうこれ以上食えねですだ、お代官様ってことになる世界。四千円のカツ丼とか天ぷらとかあまりない。あるにはある。でも、八千円のカツ丼と八千円の天ぷらで、うーん、ちょっと旨いかなくらい。つまり、その差はないに等しい、うっぷもう食えねぇの飽食の地獄。
 生涯所得予想とその日暮らしのバランスはその社会の安定性の産出でしかない。しかたないってわけ。
 というわけで、実は、このモデルはけっこう被支配の大衆の生活には最強のモデル。
 っていうか、日本の支配層が会社を経由して経済支配するような構造が変化できるものか皆目わからない。
 っていうか、どうせ庶民一人の人間の生涯でどうなるものでもない。
 っていうか、南極で暮らすにはそれなりの知恵が必要だし。まあ、ガルブレイス的には潤沢な社会が出現したのだから、庶民はそれで満足せよってこと。