日経 春秋(10/19)
言と書いて、ようげんと読む。和語では「言挙(ことあ)げ」つまり言葉に出しておおっぴらに言うこと。古来日本では善い行いとされないどころか「言挙げせぬ国」が「あれこれとことばで言い争わない平穏な国。日本の美称」(小学館・日本国語大辞典)であった。
さてさて。
言挙げと聞いて思うのはこれ。
この白猪に化れる者は、その神の使者にはあらずて、その神の正身にぞありけむを、言挙げしたまえるによりて、惑されたまへるなり
おそらく言挙げは、言葉を挙げるという「こと」それ事体の禁忌ではなく、おそらく、”名”の問題に関係していると思う。ここでは、直に名ではないが、名のように本体を語る行為となっている。
このあたりはゲド戦記的な世界の感性がないとわかりづらいが。
もう少しわかりやすい例では、女の名の問題がある。日本では”女の名”を語ることはまぐわいでもあった。
籠もよ み籠持ち
堀串もよ み堀串持ち
この丘に 菜摘ます子
家聞かな 名乗らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 吾こそ居れ
しきなべて 吾こそ座せ
我にこそはのらめ
家をも名をも
まあ、雄略歌ではないでしょ。雄略天皇なんていないでしょ。
「そらにみつ」以降は別の歌でしょ。後半は神の呼び出しというか祝詞みたいな世界でしょ。
ま、「家聞かな 名乗らさね」までが民謡で、ここで、女に名乗れ、おれとやれ、と。で、これが「家聞かな」になる。ま、夜這いってやつですね。
夜這って行って、名を言うからまぐわえる、と。
で、この他者と名=本体の構図が重要で、日本武尊は「白猪に化れる者は、その神の使者にはあらずて、その神の正身にぞありけむ」と言ったときに、神から、たけるぅ、オメー、俺とやる気かよ、になってしまった。