ぶくまより 日本語は<悪魔の言語>か?ってか。

 ⇒日本語は<悪魔の言語>か?――個別言語の類型論の可能性
 池上嘉彦先生も著名なんですがね。
 ま、この話は、まじめくさった馬鹿話ですよ、ご注意あれ。

 最後につけ加えておくべきことは、ここで日本語について論じている傾向性はもちろん日本語独自というようなものではないということである。それは人間の言語に見られる一つの可能な方向であり、他にもさまざまな程度で同様の方向を志向する言語は見出せるはずであるし、現にかなりな数の言語学者によってそのような趣旨の指摘がなされている。(17)逆に、他の言語にも見られるということによって、ここで日本語について想定されている傾向性が決して恣意的なものではないことが示唆されていると考えることもできよう。

 一言で言えば、与太話だよーんという種明かし。(日本語の議論になってないじゃん)。
 それと。
 日本語はそんな特殊な言語ではないですよ。文法構造は朝鮮語と同じ。
 語彙がどっからきたかよくわかんないということ。
 従来の言語学の祖語追求は単語単位だったので謎が深まっている。
 これは、どうやら、ポリネシア系の言語は思ったより多様で、たまたま日本語が生き延びたということで、ポリネシアンの多様性の問題ではないか、と、私は最近考えている。つまり、語彙的に祖語というのはめっからないかも。
 で、日本語というのは。
 こういう謎の語彙を朝鮮語の文法で整えて出来た人造語ですよ。
 インドネシア語とかと同じ。現代ヘブライ語もそう。それをいうなら、ラテン語もそう(エトルリアだったかの語彙にギリシア語の文法をはめて作った)。さらに現代日本語は西洋語の翻訳語
 まあ、朝鮮語があってということではなく、百済語にはなんらかのさらに祖語があると思いますが。というのと、新羅の言葉はそれとは違っていそう。
 日本語論は、日本古代史学と同じくらい、くだらね。