単純な話で言うと…

 大衆蔑視として立てられる知というのは、権力への志向を孕んでいるし、ある主の性的な倒錯を孕んでいると思う。
 ある知的な男がいるとする。彼はどのような女を選ぶか? その女は大衆ではないのか?
 ある知的な女がいるとする。彼女はどのような男を選ぶのか? その男は大衆ではないのか?
 関係ない?
 いや、その性的な選択性に潜む情念と、大衆蔑視に孕む権力には、相関があると私は思う。