はてな臭
ま、コメント欄をはてなユーザー限定にすると、結果として、はてな臭は高まるかな。
はてな臭なんか気にしなくてもいいのにね、というのは、あれです、にんにくの正しい食べ方に似ています。知ってる? にんにくの正しい食べ方。…それはですね、これから時を過ごす人と一緒に食べること、ですよ。先週のあたしンちのおとうさんゾンビですよ。余談ですが、これって、けっこう高度な口説きに使えるんですが、使い方は説明しませんよ。
なんの話だったっけ。
はてな臭。
たとえば⇒ネコプロトコル - はてな嫌いについて思ったこととかはなし。まとめる気なんかなくてドーーン
- 心配性なお父さんなどは、はてなブクマのフィードバックでネット内が画一的な記事にあふれかえって熱的死をむかえるからイヤだとかゆう意見を述べるのもありかもだけれど、そんなんありえるんかしら?こんだけヒトがいて。
- 見てる場所が狭い、って指摘されちゃうよね?たぶん。
- またはなしはかわってはてなブクマの軽量レスポンス感は、すなおに楽しめばいいと思うし、やってないヒトははてなidサクっと取って、はてブログインして、なんかオモシロ記事みつけてコメントつけまくって、みんなでどんどん盛り上がって加速して加速して、他人のコメントからまた記事印象を自分にもフィードバックさせて、書き手ばかりか読み手たちでも相互フィードバックしてもりあげてもりあげて、あの夏おれたちはひとつになった!わーわー!ぴゃーぴゃー!クネークネー!とかそおゆうお祭り感とかフェス感をたのしめばいいんじゃね?
- 夏だし。
夏だし、ドーン。
ま、はてな臭なんかドーン、と。
ま、ごにょごにょと省略すると、はてななんてただのシステムであってそれほどはてな村なんか気にしなくてもいいしあたしゃ気にしてないよという意見はなりたつのだけど、それでも、はてな全体はあるなんか志向性みたいのをじわじわ出していて内部ではなんか自然に共有しちゃうわけですよ。なんかいつのまにか、私の正義ははてなの正義であってはてながはてなの正義を実装しないのははてな、みたいな、はてな的世界になるわけですよ。って書いてて洒落なってね。
ま、なんというか、それはそれで、内部では居心地…いい…と言ってよいのでは。
これは、SNS的なともだちのつながりっていうのじゃなくて、意識が孤立してないっていうか、たとえば、なんか考えるわけです、で、はてなDに書く、とそのたんにはてはインテリジェンス・システム(HIS)が稼働してそれは私の思考であってはてなの思考になってしまうのですよ、外部的に見ると。
キーワードとかぶくまですぐにつながっちゃうっていう表層システムじゃなくて、それについて、なんというかすぐに内側で語りうる素材になるというのが前提化しちゃうってことなんだけど、うーむ、うまい説明になって内科小児科。
たとえば、ありげな話題がありげにあるわけですよ、こーんなとか。
⇒ブログ:ココログブックス:眞鍋かをりのここだけの話:@nifty
ちょっと考えると、ココログっぽいよねとか思うわけですよ。ところが、そそっそそとHISは稼働するわけですよ。
⇒はてなブックマーク - 眞鍋かをりのここだけの話 : ご報告
⇒はてなブックマーク - ブログ:ココログブックス:眞鍋かをりのここだけの話:@nifty
⇒はてなダイアリー - 眞鍋かをりのここだけの話とは
で、このリンク先自体はそれほどどってことはないのだけど、この先に、はてなDとかぶくまのコメントとかに……たーーーくさんくっついているというかネットワーク化した知識モデルになっているんですよ。直ぐになる。それが、なんというか、すでにはてなんですよ。
その知識ネットワークがどのようにはてなとしてキャラクタライズされるかというのは、ちゃんと、数学的なモデルにせにゃあかんなとは思うのだど、ま、直感的には、できてるぜ感がある。
ま、感なんで、ねーよとなると実際にIDのネットワークの集合がどう限定されるかの条件を見ていかないといけないのだけど。
いずれにせよ、それは、ある、わけですよ。
そして、それは最初から、はてなに仕組まれていたわけですよ。
真ピキさんとかはてしなく果敢にはてなに挑むのは、「「ルパン三世 ルパン vs 複製人間」」でマモーに挑むルパンですよ。
マモーは言うのですな、「死ぬのは恐くねーのかルパン」、とね。しかし、はてなはマモーとは違って奇怪な善性システムなので、外部に死は告げないのですよ、代わりに、呟く、「さみしくないの一人で考えていてぇ....ボクと一緒に考えよう、ボクの思考と一緒になってしまおう…」。
ルパン三世 ルパン vs 複製人間
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