無痛文明論



著者:森岡 正博

販売:トランスビュー

価格:\3,990

媒体:単行本



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 読んだ。お薦めしない。
 たぶん、かなりの人にとって、つまんないんじゃないだろうか。
 私はどうであったか。というと、微妙。
 障害や人生の理不尽さ、自分は天才ではないかという思い込み、死の恐怖…こういった感性は、ちょっと驚くほど自分に似ているし、この日記などに書き散らした断片は、この著者、森岡正博に似ているふうに見られるだろうなと思った。年代的にも1つ違いだし。
 いや、似ているのだろうなとも思う。
 ただ、読み進めつつ、なにかが決定的に違う、そのなにかがもどかしかった。
 私は、例えば、宗教に救いなど求めない。私にとって宗教とは…なんだろ?なにも信じてないような、それでいて、ま、こっそり言うのだが、私は、ふっと神を感じることがある。当たり前なのか奇怪なのか、別に多重人格でもない。ただ、こうした感覚は文章にするとご覧の通り奇矯だし、また、私の書くことは多分に奇矯だ。
 「自分は天才ではないか?」的な内的な了解は、その面では森岡と似ているようにも思うが、私は、自分が優れた人間だとはまるで思っていない。このあたり、たぶん、言うだけ無駄なので言わないのだと言いつつ言うと誤解されるだけかもだが、誤解されても意味もないのだが、自分の思索や感覚のコアはなにか自分に所属してないような感じがある。なんか、糸のようなふーっと流れてくるような。外来性というのか。脳のなかに扉のようなものがある感じといいうか。しかし、現実的にはそこから出てくるものがなんらか世の中で役立つわけでもなく、社会的な意味で天才どころか、むしろ欠陥人間のようでもある。ADHDとか自閉症とかなんかそういうのに近いのではないかなオレはとも思う。
 死の恐怖はいまだ絶叫することがある。まったくな。
 森岡は身体とか生命とかそういうタームをこの本で散らしているが、なんかあまり実感がない。なんか、それってうもない、みたいな感じだ。彼より私とかいうつもりはさらさらないが、私はけっこう官能的な人間(エロっていうこっちゃないっす)じゃないかと思う。現実にはただのつまんない現実主義者でもあるし。ま、自己規定など面白くもない。
 くだくだくだと。しかし、そうしたなんかドツボリそうな循環というのはあるにはあるのであって、そういうのを奇妙に刺激する本でもあるように思う。