散人先生 2/8 Today 針供養……お裁縫仕事の休養日だった

 事八日なんですが…
 ⇒極東ブログむーちー
 批判というのではないのだけど、現在の60歳、70歳のかたは、若い人から見ると、老人に見えるので、日本の伝統などを知っているかというと、そうではなく、この年代が一番欧米化した世代なので、一番日本の伝統・歴史から切り離されている。
 日本の心みたいなのは、うまく見つけ直さないとわかりづらくなっている。通常の伝統社会なら、老人が歴史の心や伝統を維持しているのだが、日本では、そうではないのだ。もちろん、世間のなかを長く生きてきた人間には基本的な敬意をもって接するべきではある。その意味で、歴史の心をきちんと耳を澄ます努力は、本当に日本を愛するなら、今、若い世代に求められる。
 で、どうしろと…それはむずかしいのだが、庶民というのは、知識人なんかにへこたれない存在なのだから、そういう庶民の生活のなかに静かに生きている知恵を見るべきだろう。ま、先のむーちーの記事でも読んでみてくださいな。
 余談だが、小林よしのりの一連の沖縄物をときたま見る…率直にいうと苦笑する。私もないちゃーだが、あそこまでないちゃーではない。日本人と沖縄人には深い共通性がある。それは、深い歴史・文化の内省のうちに育まれるものだろう。理念と言葉を先行して得られるものではない。
 小林よしのり古事記を日本の民話としているが、あの偽書が日本に現れたのは実質近世である。宣長先生の読み下し創作があまりにすばらしいので、古代とはこのようなものかという幻想を得ただけだ。しかし、日本の古代とは不思議な世界なのである。基本的に道教である。そこには、東アジアと通底するものがあり、そのなかで、日本人が、沖縄人がどのように民族性に目覚めたのかというその庶民の意識の隔世を、まさに現代の庶民の生き様のなかに見て行かなくてはならない。
 宮本常一などはそのことがはっきりわかっていた。