ロス疑惑と吉本

 原理的な問題は、もういちど、ポランニあたりから考察したほうがいいだろうな。で、ロス疑惑だ。
 吉本はロス疑惑を最初から正確に見抜いていた。そして今や裁判結果も出た。文春はなんの反省もしない。ま、それを責めても無理というものだ。
 しかし、思索するものは、知識人はこのくだらないように見える問題をもっと切迫したものとして考える必要はあるだろう。
 ま、といいつつ、それもさておきだ。
 吉本は、彼の幻想論の考えかたをベースにすると、ロス疑惑をどう捕らえていたのだろう。世論のリンチは、どうしても対幻想的な暴走でしかない。彼はむしろ、制度・装置とはいえ、それを生み出す公正な共同幻想を想定していたとしか、原理的に言えないのではないか。
 彼は共同幻想としての国家を解体しようとした。また大衆の原像というのを思想の原点に置いた。
 だが、実際は、ロス疑惑では、彼は、社会リンチから三浦を保護するために、国家を必要といたではないか。
 このあたり、俺がバカなのかもしれないが、本質的な矛盾が吉本にあるように思う。