日経社説 危機と政府(1)賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ

 賢くて強く、社会的弱者を守れる政府は必要だが、企業の活力をそぐお節介な政府や、国を借金漬けにする放漫な政府は要らない。経済の面では、市場経済がうまく回るような環境づくりを過不足なく進めるのが本来の役割だ。「大きな政府」待望論が強い今、あえて強調したい。

 日本のような大国で大きな政府が求められるというのは異常というか、日本に民主主義なんてないんだなという感じがする。

読売社説 急変する世界 危機に欠かせぬ機動的対応、政治の態勢立て直しを : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 日本の強みは、減少したとはいえ、まだ1467兆円もの個人金融資産があることだ。
 このうち、150兆円から170兆円が平均的な個人のライフサイクルから見て「余剰貯蓄」といえるとの、総合研究開発機構(NIRA)による試算もある。
 また日銀は、いわゆるタンス預金だけでも30兆円、投資や利殖より安全を志向する当座・普通預貯金としてほぼ眠っている資金が、120兆円あると見ている。
 こうした“眠れる資金”を掘り起こして活用することは、重要な政策課題だ。

 年末の爺だらけのスーパーを見て、それを思った。こういうとなんだがオレオレ詐欺?にしてもカネが余っている現象なのではないかとも思った。
 話がそれるが、「かあちゃんカネくれ」というだけでカネを出す親が日本には多いのだなと思った。自分の境遇を考えると想像を絶しているというか、私は存外に日本というものがわかっていない。

朝日社説 混迷の中で考える―人間主役に大きな絵を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 世界の秩序も、これまでの米国一極支配が終わり、中国やインドを含む「多頭世界」が現れつつある。経済危機に対処し、地球環境を守るための国際連携がますます重要になる。政治はおちおちとしていられない。

 中国への言及はこれだけ。中国やインドを含む「多頭世界」がどうなっているかは執筆子は知らないのかもしれない。

恭賀新年

 昨晩は十年ぶりくらいだろうか、だらっと紅白歌合戦を見た。紅白は、今では男女の意味に擬されているが、これは源平を意味していたものだった。まあ、そんなことを思った。昨年は、自分の居場所にJPOPが流れることが多く、ああ、あのメロディはこの子が歌っていたのかと意外に知っている歌が多いのがむしろ不思議だった。布施明の超ロンドンブーツだがあの年齢で転ばずにうまくこなしていた。声量はあるものの声質には往年の豊かさはない。森進一の「おふくろさん」は単にホラーだた。あんな歌と映像が流れていた昭和の時代とはなんだったのだろうかと思ったが、考えるのも嫌になった。氷川清というのか、なんとなく聞いていたがこの人はかなり歌がうまいのだなと思った。行く年来る年はデジタル化したせいか、カウントダウンが背景の人の声でまぬけていた。
 夢は見たが覚えていない。込み入っていた。夢のなかで夢の複雑さに困惑しているような感覚だけが残っている。
 用意したおせちを食べ、雑煮を食べた。ナイチの正月にも飽きたな。

今年最大のイベント

 たぶん⇒46年ぶり皆既日食、今年は世界天文年 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

今世紀最長の皆既日食が7月22日に、鹿児島県のトカラ列島など東シナ海の島々で観測される。部分日食なら日本全国で眺められる。太陽と月のコラボレーション(共演)による天文現象の概要と見どころを紹介しよう。

年末読んでいた本

 今朝読了。いちおう以前にもざっと読んでいたが、仮説の要点を知りたいだけだったので腰を据えての読書ではなかった。
 今回も多少退屈な古典議論は速読したが、でも大半はじっくり読んだ。注もよく見返した。
 読んでいてなんどもくらくらした。聖書についても読み込んでいるなと思った。はっとさせらるところはあった。たぶん、聖書学者でも苦笑4回につき驚愕1回くらいはあるのではないか。

cover
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡: ジュリアン ジェインズ, Julian Jaynes, 柴田 裕之
 概ね、トンデモ本と言っていいのだろうと思うが、そう言うにはなんとも苦い思いがする。シンプルな主張のようでいて、仮説が複数分野に渡っており方法論にロジカルエラーが多すぎるのだが、が、というのは、それでもこの仮説群の魅力には抗しがたいものがある。若い人は読まないほうがいいように思う。あるいは、単にトンデモ本じゃね、で、否定するだけのことになるなら、読む意味もないのだし。
 ただ、この本を読んでいない欧米の知識人はたぶんないと言ってもいいのよいのではないかな、直接的な評価は別として。その意味では必読書でもあるのだろう、こっそりとした。
 それなりに⇒二分心 - Wikipedia
 英語だとかまびすしい⇒Bicameralism (psychology) - Wikipedia, the free encyclopedia
 スペリーの研究が話題だった時代のものでその後の脳科学的な知見からは、べたに否定される部分も多いのではないかとも思うが、それにしても、ディテールの含みは大きい。
 読みながら、この知の巨人というか、教養の巨人ジェインズという人を思った。ある総合的な教養が、彼が否定しているような創発を生むのではないかと思う。
 ジェインズは左右脳にフォーカスしているが、これは私が昔考えていた知覚の発生説的な部分で補えるものもあるだろう。
 読み返しながら、途中や後半に語られるエキサイティングな仮説より、前半や付録の反駁的な思索のほうが興味深かった。哲学が実際には何も語ってないんじゃないかという痛烈な思いがあった。
 ジェインズの関心にはある悲しみのようなものもある。そこには多分に生の意味への問いが巧妙に隠蔽されている。
 
追記
 そういえば、というか、この本は、極めて吉本隆明共同幻想論に近いところがある。ただ、共同幻想論はきわめて読みづらい。
cover
共同幻想論 (角川文庫ソフィア): 吉本 隆明
 ジェインズには「性」の要素がないが、性の意識が、個人幻想から共同幻想(国家幻想)に至る部分とのパスに関連している。(たぶん、性の問題はバタイユのいうように死の乗り越えの意識があるのだろうと思うが。)
 ジェインズの場合、二分心は、当初国家に至らない小さな集団の個々人を統制するものとして描かれ、これが国家幻想に至る過程に、言語を介在させている。そして、国家幻想は、二分心が退化したものと見ている。
 吉本の場合は、対幻想が対性として他者を国家幻想に疎外したとき、まさに国家幻想を見ている。
 ジェインズと吉本のどちらが正しいかとはいえないし、折衷に解答があるわけではない。このあたり、ジェインズも吉本も発生論的な思考に捕らわれていて方法論的な間違いがありそうにも思う。
 直感的には、たぶん、フロイトに鍵がありそうな気がする。というか、このあたりの領域の思考はけっこうしんどい。