日経春秋 春秋(12/31)

勝海舟は長崎でオランダ人教師に時間さえあれば散歩しろと教えられ、その魅力と効能にはまった。

 この話は氷川清話にある。氷川清話の史料価値は疑問だが、日本人必読の本であることは疑いないだろう。なんか年末、書籍紹介を挙げるブログが目立つがそれにまねるなら、未読の人は読んでおくといいと思う。高校生でも読める。

cover
氷川清話 (講談社学術文庫): 勝 海舟, 江藤 淳, 松浦 玲
 小吉のこれも面白いが廉価な本がなくなった。
cover
夢酔独言 他 (東洋文庫 (138)): 勝 小吉, 勝部 真長

読売社説 中国経済減速 社会不安すら起きている : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 「世界の工場」ともてはやされた中国が、急速な景気減速に見舞われている。工場閉鎖による労働争議が頻発し、社会不安も増大している。
 今年夏、北京五輪開催による経済効果が論議された時、こんな事態が起こるとはだれも想像できなかったのではないか。

 そうでもないが。

読売社説 「普天間」移設 日米合意案通りに進めよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 沖縄県は、キャンプ・シュワブ沿岸部に建設する普天間飛行場の代替施設案に同意せず、施設の沖合移動を求めている。ブッシュ米政権は沖合移動を拒否しており、事態は膠着(こうちゃく)状態にある。
 オバマ米次期政権は沖合移動を容認するのではないか、という期待が日本側の一部にあった。だが、ゲーツ国防長官の留任が決まり、その可能性は極めて小さくなった。この事実は重い。

 そうとばかりも言えないが。

朝日社説 チベット問題―いまこそ対話の好機だ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 微妙な社説。

 しかし、中国はやはり、チベット社会で幅広い支持を得ているダライ・ラマとの対話を進めるべきだ。
 ダライ・ラマの73歳という年齢を考えて、対話を先送りするという思惑も一部にある。だが、それでは両者をつなぐパイプがつまり、強硬派を勢いづかせて再び騒乱を招きかねない。来年はチベット動乱から50年という敏感な時期でもある。
 日本政府はチベット騒乱後、欧米のように大声ではなく、静かにねばり強く中国に対話路線を説得した。「メンツを大切にした日本外交が功を奏した」という声が中国内で出たほどだ。日本流の働きかけを続けるべきだ。

 その間ひどい虐殺が進んだのだけどね。

かくて大晦日

 外をみるとたぶん明日とたがわぬ光景がある。富士山が朝日に映えて美しい。
 夢は。障害者の子どもをもつ若い女性から手紙をもらったというもの。私は20代でなにかの研修をしているようだ。込み入ったストーリーがあったが忘れた。

大事件になるかならなかいかは結果論の部分もある

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):六本木ヒルズで刃物振り回した疑い 男に警官が威嚇発砲 - 社会

 同署によると、男は杉並区天沼3丁目、無職椎名賢次容疑者(28)。署玄関前で警戒中だった組織犯罪対策課の男性巡査部長(35)が走って駆けつけると、包丁と傘を持った椎名容疑者が逃走。六本木ヒルズの森タワー正面玄関付近の広場で通行人らに「刺すぞ、この野郎」と脅しながら包丁を振り回した。巡査部長は「刃物を捨てろ」と繰り返し命じたが従わなかったため、上空に向け拳銃1発を発砲。椎名容疑者が包丁を足元に置いたところで取り押さえたという。

ブログの記事を素早く書くための 6 + 1 ステップ

  1. ネタははてぶとかアルファブロガーのエントリをぱくる
  2. 口調を決めておく(弾小飼風、タケルンバ卿風など)
  3. ツッコミどころばらまいておく
  4. いきなり書いて誤字のツッコミがあったら直す
  5. 最初と最後の整合性とか気にしない
  6. 終わり! 投稿しましょう
  7. 改行を多くしてfontタグを多用しましょう

 
inspired by ブログの記事を素早く書くための 6 + 1 ステップ | Lifehacking.jp

なんというか

 世の中には珍本というか変な本がある。いやたまに出る日本のトンデモ本とかより、これは古典にするしかないのだがどう受け取っていいかわからない。まあ、通説ではないし、一部で痛烈にトンデモ本認定はあるのだが、かといって抹殺もできない、どうしようと思われつつ読み継がれていく本。いくつか紹介したいが誤解のもとなんでやめとくが、いくつかは当然というか日本語の翻訳もある。の・だ・が、訳が変。
 もともとなにをいいたいのかわけわからん系の本だがさらに翻訳でわけがわからんになっているので、しかたねーなと原文を照合してみて、どきっとする。げ、そういう主張だったのか、こりゃ、やばいなわけわからんほうがよいな、とか。

人生というのは思い通りにならないものだが

 がというのは、思い通りにならないというとき、その「思い」の主体とは誰なんだろう、ああ、オレか、なのだが、そのオレというのは、実際には、記憶であったり、ある時期の悔恨であったりする。
 以前からうだうだ書いているが、私の心はどうも4歳のとき、14歳のとき、25歳のとき、36歳のときという各層で、ふつっと停まっている部分がある。もちろん、そうではない部分もあるのだが、なんとなくブログでは書かない。実生活で社会的に見える部分はそうではない部分なのでごく普通な人、というか、そういう乖離がなければブログなど書かないのかもしれない。
 そうした記憶の断層が、その後だらだらと老いていく自分に向けて、人生とは思い通りにはならないなと思っている。が、実際には人生というのは今しかない。そして今というのは、過去の思いとは違うのだから、思い通りにならないという理解はただの錯誤でしかない。が、まあ、そう言い難いところに記憶にしがみついた悲しい自我みたいものがある。
 人生の各地点で過去を振り返れば悔恨はある。そして未来があれば悔恨の挽回なりを思う。が、それはそれで刻々と裏切られていく。いろいろなところで、自分はもう若くはないのだと思う。若くいたいということではなく、ああ、自分の身体の未来というものはないのだと思う。うまくいえないが、青春期のような汗臭い煩悶の夜というのはもう二度と来ない。
 ただ。
 なんというか、人は存外に夢のなかで生きているかな。夢のなかで人はありえない過去の若い肉体を得ている。そのあたりに人の心のどうにもわからない部分はある。
 思い通りにならない今、いや今とはそうではない、いろいろ思いながら、実際の人は、それぞれにのっぴきならない今の状況に埋め込まれていて、そして、生きるということは、そののっぴきならぬ状況を受け入れることだ。かつての自分ならこんな場にはいなかったな、かつての自分ならこういうことは言わなかったな、いろいろ受動的に、させられる。悔しい感じがしないでもないが、そういう自我の部分を保持すればするほど、実際には生きがたくなる。というか、そこで、奇妙に、「人生」というか、人の生きる「道」みたいなものが現れてくる。
 これは、たぶん、人の進化な制約なのかもしれないが、生きて見て、自分の思い通りにならないがそれが人生の道というものかなというものに遭遇するとき、やはり他律的なものはある。そしてその地点で他律と意志というのは奇妙な相貌の異郷の神々の出会いのように驚き合う。
 流されていくのが人生ともいえないし、自己の夢を実現しようとするのが人生ともいえない。そして誰かが「私」の人生を評価するために生きているわけでもなく、己は己のなかでひそかに価値や矛盾を磨き上げていく。
 若い頃、小林秀雄の流儀の秘密はなんだろうと思った。山本七平もそう思ったようだ。私は、小林の人生経験や、彼に影響を与えた思想家・文学者はなんだろうとも思った。それを知ることでわかることはあるにはあるが、つまるところわかるものではない。そしてうまく言えないのだが、こうした人々に同化しようとすることをやめた。似ている部分があるが、同化はできない。そしてそれに付随して、語られる正義なり真実というのは、人の心に迂遠なものではないかと思うようになった。宗教にしてもイデオロギーにしても、人の、その個人の人生の内在のなかで問われない限り、それは他者を巻き込む本質的な悪の運動となりうるものだなと思う。知識は人を表層的に賢く見せるが、人の内在を賢くはしない。というか、誰かのためや世界のために人は生きているわけではない。そこで蹉跌したり奇っ怪な成功をして悪を撒き散らすのは、世界とは、他者とはそもそもそういう存在なのだという以上のことはない。
 カンフーパンダのエンディングで、パンダと師匠が肉まんを食う短いシーンの背後で桃が芽吹いていた。あれが、タオ、というもので、人はさらについタオを使えるように思う。ただ、タオはそのままにしてある。というか、タオが世界の側にあるように見えるのは、しかし、おそらく、間違いなのだろう。人は生きていけば、人生に出会う。

メチニコフというのは

 晩年は微妙にトンデモなのだが、日本ではそこが奇妙な歴史として定着している。そのあたりは、わかもとの歴史も調べるとわかるように、まったく隠蔽されているわけではないのだが、よくわからなくなっている。ただ調べるほどに面白いというか滑稽な感じはする。ただ、これって現在日本でも利害関係者が多いので、あまり物騒なことも言えないが。
 ⇒イリヤ・メチニコフ - Wikipedia

また晩年には老化の原因に関する研究から、大腸内の細菌が作り出す腐敗物質こそが老化の原因であるとする自家中毒説を提唱した。ブルガリア旅行中の見聞からヨーグルトが長寿に有用であるという説を唱え、ヨーロッパにヨーグルトが普及するきっかけを作ったことでも知られる。自身もヨーグルトを大量に摂取し、大腸を乳酸菌で満たして老化の原因である大腸菌を駆逐しようと努めた。

 グルジェフなんかもこれにすっかりひっかかっていたが。
 ⇒ヘルシスト

辨野  もう35年も前になりますが、私が光岡先生のもとで腸内フローラの研究をはじめ、学位をとってアメリカに留学しようとしたことがあります。留学したかったのはNIA(米国立老化研究所)で、腸内フローラの改善を通じて老化を遅らせることが出来るのではないかという研究をしたかったのです。そこで、その旨を研究所長さんに手紙に書いて留学をお願いしたところ、「お前の学問はサイエンスではない。乳酸菌が健康に役立つなんていうのはメチニコフで終わりだ」と断られてしまいました。アメリカでは1970年代にムアー(Moore)やファインゴールド(Finegold)らが精力的に研究したのですが、腸内菌と病気や健康の関係は認められなかったため、研究が打ち切られてしまったのです。アメリカは国民皆保険がないため、自分で自分の健康を守るという予防医学発祥の地でもあるのですが、菌を使って疾病を制御したり、健康を維持するという発想はなかったのです。

 メチニコフの「老化の原因であるとする自家中毒説」はただのトンデモで終わっているというのが米国。ポーリングが晩年ビタミンCで風邪が治る抗癌作用があるとしたのがトンデモとほぼ同じ末路。
 ただどっちもその後に微妙な部分があってややこしい。
 メチニコフの晩年説が否定されたことの一つには、菌が限定されていることや、腸内に達せず死んでしまうというのがある。実際にはもっと重要なのは、到達しても免疫によって殺されるのだけどね。
 さきの続き。

 昨年、コロラドでISAPP(International Scientific Associations for Probiotics and Prebiotics;プロバイオティクスとプレバイオティクスに関する国際会議)があり、3日間にわたり欧米の研究者とディスカッションしたのですが、どうもアメリカの研究者の考えは視点が外れているように思えてなりませんでした。彼らは腸内フローラの重要性よりも菌が持っている機能や物質にだけ関心があって、宿主を見ていないのです。
 食品を通じて健康の維持・増進をはかるという考えをもっと浸透させないと、乳酸菌飲料やヨーグルトは、単なるサプリメントの発想で終わってしまうでしょう。

 この「アメリカの研究者の考えは視点が外れているように思えて」じゃないのが、なぜ日本以外に北欧に伝搬してそこでけっこうプロバイオティクスが生き残る。

田中  先ほども話したように、アメリカでは1920年代にレッドガーがアシドフィルス菌を使った生菌療法を薦めましたが、根付きませんでした。私は、アメリカでは抗生物質が発見され、感染症はすべて解決出来るから、生菌療法など必要ないと考えたのではないでしょうか。ただ、一般国民の間では、まだプロバイオティクスという言葉が浸透していませんが、NIH(米国立健康研究所)などではゲノムサイエンスを背景にプロバイオティクスの研究を始めています。うかうかしていられません。

 米国では結局アシドフィルス菌が残った。いちおう今でも使われているには使われている。以前読んだ本で、カンジダの予防とかがあって笑った。
 プロバイオティクスでは。

田中  この言葉は抗生物質(antibiotics)に対比される言葉で、1965年にリリー(lilly)とスティルウエル(stillwell)が「ある種の原虫(protozoa)によって産生される他種の原虫の増殖を促す物質」と定義したのが最初だとされています。その後、パーカー(Parker)が1974年に「宿主の腸内菌叢の制御を通じて宿主に有益な影響をもたらす物質」と定義しましたが、1989年になってイギリスの微生物学者フラー(Fuller)が、その定義では抗生物質も含まれてしまうとして再度「宿主の腸内菌叢のバランスを改善することにより、宿主にとって有益な作用をもたらしうる生きた微生物」と定義したのが、現在、使われている概念です。この言葉が日本にも輸入され、広く使われるようになったのですが、日本では、すでに1930年(昭和5年)にヤクルトの創始者である代田稔博士がラクトバチルス カゼイ シロタ株(L. casei)の強化培養に成功、1935年にはヤクルトが発売されています。
 そして1978年にはビフィドバクテリウム ブレーベ ヤクルト株で発酵させた本格的なビフィズス飲料の開発に成功、市販を開始しています。発想も実行も日本が先駆者だといっていいでしょう。

 ここは非常に微妙なんでパスだが。この昭和5年の状況は意外と北朝鮮なんかにも影響していたようでびっくりしたことがあった。
 いずれにしても、1920年、1930年という年代は、当時の健康状況を考えると非常に面白い符牒はあるがそれもパス。
 でこれ⇒ミヤリサン製薬 - Wikipedia

長らく後楽園球場や東京ドームの一塁側内野中段に「腸にミヤリサン」の広告が出ていたが、2000年頃に撤退。しかし本社屋上の同看板は健在で、上越・長野・東北・秋田・山形各新幹線乗車中に見ることができる。

 ブレードランナーみたいだが。
 こんな歴史。

1933年 - 千葉医科大学(現 千葉大学医学部)において、宮入近治博士(ミヤリサン初代社長)により、酪酸菌が発見される
1940年 - 酪酸菌の工業生産開始

 公式には⇒酪酸菌の歴史
 そういえばメチニコフもノーベル賞Ilya Mechnikov - Biography

正月物の買い足しにスーパーに行ったら爺さんがいっぱい

 どうなってんだ。って、オレもその一人か。いや、もっとなんか、爺さんがいっぱいいるんだよ。しかも店内がわかってなくてうろうろしている。
 世の中なにか異変があったんだろうか。爺さんが適度な温度と湿度で異常増殖するとか。

餅は和菓子屋

 餅は餅屋とは言われるが、餅屋なるものを私は知らない。代わりに、和菓子屋に頼んでついてもらっている。この正月分予約したのを取ってきて、焼いてみた。うま。私は、餅が好きではないのだけど、この餅はうまいな。

そして雑煮の季節

20081231114042
 ちがった。

 この季節になるとアクセスが増える⇒極東ブログ: 雑煮の作り方
 ほいで。

言い方が偉そうだな、お前。
投稿: | 2008.12.29 10:54

 そりゃ2004年のエントリだからね。今だったらこんなふうには書かないよ。

「こういう形からの御報告が先になってしまったこと」というブログ

 ⇒離婚|ともさかりえ オフィシャルブログ Powered by Ameba

勝手を言ってすみません。お仕事関係の皆様にも突然で一方的な御報告になってしまい申し訳ありませんが、また新しい気持ちで演じたり歌ったりしてゆけたらと思っておりますので、どうぞ今後とも宜しくお願い致します。私達は元気です。2008年もありがとう。皆様、良いお年を!

 母子家庭?にもよいお年を。