日経社説 処刑だけではイラク新時代は生まれない

 フセイン時代のバース党独裁への復帰を望む人は、現政権への抵抗感が強いスンニ派の中でも少数だ。元大統領処刑がスンニ派の一斉蜂起といった状況につながるわけではないが、治安状態の好転に結びつく可能性も乏しい。旧政権の残党や外国人も含むテロ組織などがもっぱら米軍やシーア派を攻撃する状況から、シーア派の一部勢力によるスンニ派攻撃やシーア派の内部抗争とその報復が続く状況へと、イラクの武力衝突の図式が変わっているからだ。

 このあたりはそれなりに正確。
 ただ、ふと思ったのだが、フセインの処分はスンニ派登用のステップだったかもしれない。彼が生きていたら、そこが中心のように疑心を招くだろう。

朝日社説 フセイン処刑 報復合戦につなげるな

 問題の要点がずれまくっているなと思うが、そう思う私が世間からずれているのだろう。
 なのでそのずれをメモしておこうか。

 ブッシュ米大統領は「イラクにとって、重要な一里塚だ」と評価した。しかし、03年末に故郷近くの穴蔵で捕まり、無精ひげ姿が世界中に報じられた時点で、20年以上にわたる独裁者の権威は失墜していた。

 それはそうとも言えない。フセインがという以前に彼が牛のように扱われたことにイスラムの人は怒りを覚えた。そしてその後のフセインには威厳はあるにはあった。

 いま最優先すべきなのは、内戦状態ともいえるイラク国内の武力対立を解消することだ。宗派間の和解を、国際的な支援の下で進めなければならない。

 それが間違いだと言えないが、基本的には内戦状態を止めるというなら、シーア派民兵組織の問題がある。スンニ派の勢力の支援は外部のようだがそこは私も確としたものを持っていない。また、朝日はクルドに言及しないがそこをどう考えているのか。

 死刑の確定後、元大統領は面会した兄弟たちに「殉教者となることはうれしい」と語ったと伝えられる。何とも気になる発言だ。

 こういう文章を社説に書いてはいけない。ソースは?

 そうした政府がいくら「法に基づく正義」を主張したところで、ブッシュ大統領が期待するような安定化は望むべくもない。一審の死刑判決は米中間選挙の直前だったし、処刑のための施設を急ごしらえでつくることも含めて米国の後ろ盾なしではできなかったはずだ。

 これがイラク人への侮辱になっているとわからない感性にはついてけない。

 なぜ、数度に及ぶ戦争の原因をつくり、イラク内外で数十万人といわれる死者をもたらしたのか。対イラン戦では、なぜ米国などの国々まで旧フセイン政権を支援したのか――。

 なぜアンファル作戦と言及しないのか。またイイ戦についてはかなりわかっているというか朝日なりの結論をもってタメを書いているのは下品だ。それより、朝鮮人パークが暗躍して国連とフセインを取り次いだ不正の構図を朝日はどう考えているのだろうか。

これが違うんだよという議論も読んでみたい

 ⇒池田信夫 blog 「失われた15年」に失われたもの
 あるかな?
 重箱的には私にもできそうだが、それでは意味ないのだし。
 リフレ派的にはうんざりするべたな構造改革派議論ということでFA?

そこまで割り切りますか

 ⇒ネットの意見相互調整機能に個人は抵抗できるのか? : ARTIFACT ―人工事実―

 現状、ブログの炎上は、システム的な対処(登録ユーザーのみコメントできるなど)が未発達なために起きやすくなっている面が強く、ブログサービス側のシステムの発展を望むのだが、あまり対処されてない感がある。

 マジレス的に書くと未熟というより、さらなるインテリジェントシステムが求められる、たとえば、システムスルー力
 ほいで。
 ブログの炎上はさすがあれだが、罵倒コメントについては、耐えられる人はできるだけ耐えるというかそういうのを表にあぶり出すのもブロガーの役割ではあるのだろうと思う。
 ブロガーは内部にいるとバランス感覚を失うが、匿名罵倒コメント者と非対称性にあり、一見すると匿名のほうが隠れていて有利のように見えるが、が、貴印と特定分野の政治操作は、これをある程度放置しておくほうが可視になり、結果全体の閲覧者のリテラシーのフィルター能力になる。
 その全体性へのチャネルはブロガーのほうに非対称性の利がある。ただ、そこがつらいといえばつらいところではある、というのは、この問題はまた孤独とはみたいなものにとりあえず帰着する。人の言うことなんか聞かないのではなく、聞けるが見えない多数をどこまで冷静に算定して信じられるかにかかっている。

考えさせられる

 失礼な意味はなく、特にほぉと思う点はない。深く共感するだけ。
 ⇒カワセミの世界情勢ブログ: 2006年を振り返って
 また、これはよくまとまっているなとも思う。
 ⇒寝言@時の最果て: イラク戦争の「本当の理由」
 ただ。

なぜイラクかといえば、サウジ(当時はアメリカに睨まれていましたから)やシリアでもいいんだが、イラクは攻撃しやすいからだとあまりに赤裸々に述べています

 このあたりについては、すでに極東ブログでもふれたが、United States of Texasの思惑が大きかった。そしてそれは長期の帝国の維持に関わっていた。あっけなくいうと日本の保護でもあったし、潜在的には中国の保護でもあった。そのあたり、日本も中国もわかっているようなわかってないような微妙なリアクションをしたのだが、それでも、その文脈で考えれば、後の歴史家は小泉をどう見るだろうか。
 なんかもっと気楽に物が言いたいなとも思うが、そうもいかないでしょ。糸を垂らすだけで釣れちゃうんだし。これでも釣れたらとほほほ。

そういえば

 ⇒俺のターン - 2006年、本のランキング

でも実質一番なのはこれ

 そういえば、この手の話を昔、ある船乗りから延々と聞かされたことがある。船乗りというのはそういう人が多かったのかもしれないなとも思った。ちょっと内容を思い出してキモくなりそうなのでこれにて。

スーパーが混んでいた

 昼飯・晩飯とわずかな正月の耐乏食い物でもと思ってスーパーに行ったらけっこう込んでいた。大晦日の風景かと思った。込んではいるものの活気があるという感じがしないのは、たいした食い物ないなと思ったことだ。
 でもないか。蕎麦にのっける天ぷらに芋天買おうかと思ったらない。エビ天ばっかり。おねーさんに芋天ないのと聞いたら、申し訳ありません、今日はありません、と言われた。エビ天かぁ。まあ、縁起物で買ったよ。

あなたは実は「簡単に引きちぎることのできるロープで繋がれていただけ」なのかも知れない

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                |! l! i! l| ヒュー


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                 .l!∩i!∩i!
                .i!(∧,,∧)l!  \_人_人∧从_人_∧_人_从/
               と(` ゚ ω゚´)つ   )                >
                        < そんなぁ── !!!!!!    >
                         <                (
                        /^Y ̄∨ ̄∨^Y^⌒Y^Y^Y^ヽ

大晦日

 私は日本の年末年始というというのが嫌いで、できたらこの時期だけは日本から脱出してしまいたい。というかそうしたこともある。
 すき焼きもイヤ⇒極東ブログ: 大晦日になぜすき焼き?
 海外だと日本と時差があり、そうか今ころ日本では新年おめでとうございますとかやっているのだなとぼんやりと不思議に思った。
 フロントがニューイヤーズ・イヴのパーティにどうぞと招待してくれたことがあり、ただ飯?とか思っていったら、独り者にろくなことはない、イタリア人のじいさんと向き合ってしんみりディナーだった。まあ、それもよしではあるが。娘の結婚式の帰りだと言っていたがどういうことのなかわからず。
 糞、日本を離れても面白ぇわけじゃないな、さっさと寝るかとふて寝してしまったのだが、夜中に、どん!。
 どん!どん!と。
 ああ、そうだ花火が上がるのだったな。
 テラスに出て、港に生える花火が美しかった。
 
Fireworks light up Berlin's Brandenburg Gate
BBC NEWS | In Pictures | In pictures: New Year celebrations