日経 春秋(10/31)

文明の道具としてのケータイの洗練性を高めるためには、利用者のマナーとともに公益を担う事業者としての責任の感覚も求められる。

 昔読んだ(読まされた)CCITT文書にコモンキャリアの使命みたいのがあった。あれは国連的なものだろうと思う。CCITT文書はRecommendation(勧告)という言葉があるが、これは実際には法だった。
 電電マンが死に絶えたということかな。

産経社説 いじめ自殺 死に急いだら負けになる

 自殺は、いじめに屈して負けを認めるようなものだ。真相も分からなくなる。曽野さんが指摘するように、いつかはいじめた相手を見返すくらいの気持ちをもって、心身共に強く生き抜いてほしい。

 急がなくても負けは負けという実例が、この私。
 っていうか、いじめた相手のことは忘れなさいと思う、っていうかなかなか忘れられない自分がそう思う。
 歳をとれば自然にわかることも多いが、いじめた相手は「私」のことを忘れている。「私」が一生そのいじめを忘れまいとしているのは、いじめを是認しているようなものだ。落石事故にあったようなものだ。石を恨むのは愚かであり、石になんらか意識なり尊厳なりを思う必要もない。(わずかに例外はあるが。)
 人をいじめた人間は、なんというか、人を軽視できると思っている。「思っている」「できる」というのと少し違うが。が、そうした思いのなかに実は自分自身の軽視が含まれている。そして、人生の総体は、たぶん、それを許さない。
 それと、心身共に強く生き抜こうとかして、結局は、自分が自分をいじめることになりかねない。
 私は、いわゆる宗教信者が信じるような神は信じない。およそ宗教というものを信じない。そして、自己がこの世に存在している究極的な意味も信じない。
 ただ、自分がこのように存在しているのは、どうやら自分の責任ではないのになぜ自分に担わされているのかという、ある究極の懇願のようなものは多少感じる。それはとても遠い、あるいはとても昔、あるいは未来? 私を形成した何かがあるなら、それは私を存在させることで問いかけているのだろうと思う、というか、そういう問いに耳を澄ます。もっとも孤独のとき、その声を少し聞く。了解しつつ存在する。

読売社説 [ソフトバンク]「社内も混乱させた『極秘作戦』」

 劇的な発表で宣伝効果を高めるため、この作戦は極秘とされた。代理店はおろかシステム担当など社内の大半も、計画を知らされていなかったという。

 どもそれが真相っぽいので笑っていいのか泣いていいのか。ったなくショーモネー。

読売社説 [河野談話]「問題の核心は『強制連行』の有無だ」

 読売もこう来ましたか。
 この問題だが、その有無とやらは歴史学の問題と政府の立場というのがある。右派左派この混同の違いのパラメーターだけ。

朝日社説 郵政民営化 縮小への道筋を示せ

 いま郵政公社特定郵便局も含めたリストラを進めている。だが、小泉政権が終わった途端、民営反対派が勢いを盛り返している。安倍首相がこれを傍観するなら、民営化の足元は崩れる。

 朝日新聞郵政民営化問題についてはけっこうまともな意見が多い。というか、バランスがとれていると思う。

朝日社説 自然エネルギー 買い取り量を増やせ

 うひゃ、こりゃまた素っ頓狂。

 石油の枯渇が見え、温暖化が進む時代にふさわしい数字ではない。計算の仕方が少し違うが、欧州連合(EU)は04年の実績が約14%、「10年には21%」という目標に向かって走っている。

 ここは笑うところつか。

 自然エネルギーは純粋な国産エネルギーだ。石油や石炭、原子力ほどの発電量は期待できないにしても、原油の高騰や産油地域の混乱に左右されず、エネルギーの安全保障の面でも十分に役立つ。

 ここも笑っていいでつか。
 それにしても「エネルギーの安全保障」とはね。
 なんどでも言う。日本のエネルギーの安全保障とは自由貿易

ちょっと違うんですよ

 ⇒おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日

私の先祖は瀬戸内のある島が出自であって、父の世代までは「いとこ会」なるものをつくって、兄弟のようにして付き合っていた。それも「島意識」があるからできることなので、国家意識は微塵もなかったし、だからこそわざわざ島に帰ってそういう飲み会をわいわいやっていた。

 私の父祖が日本という国家意識を持っていたか、その有無については、それほど関心ないのですよ。
 存在と思惟の違いというか。
 たとえば、中国人からは「日本人」と見えるわけです。そういう存在の規定についてなんです。
 で、じゃ、中国人は中国人という意識を持つかというとそのあたりも曖昧になってくる。で、そういう問題ではないのです。
 もともと大衆というのは、その原像において国家意識なんか持ってません。ただ、国家に規定されて存在しているのはあります。
 よかったらもとのエントリ、再読してくださいませ。
 ⇒finalventの日記 - 日経 春秋(10/27)

世界史と言えば……

 ま、世界史と限らないのだが初等教育を英語で履修させられたために、あれだ、世界史の固有名詞がすごくすっきりしたことがあった。英語だと、Charles Martel だものな。チャールズ・マーテル。なんか上院議員かなんかにいそうだよな。いないって。でもぐぐったら⇒Charles U. Martel, Faculty, Department of Computer Science
 ところが日本の世界史だと、今はなんと教えているのだろうと思って、英語のWikiから日本のリンクをみると、カール・マルテル。俺っちの高校時代の教科書もそれだったな。(英語では、Charles the Hammer のようでもあるな。このあたり、どうなってんだろ。)
 カール大帝は、カール大帝だろうか。なんか日本語の響きがジャングル大帝とかなんか戦前の人の語感だな。と、ウィッキをみるとまだ、カール大帝
 シャルルマーニュと呼ぶのが現代の日本では一般的かとも思うが、そうでもないか。その点、やっぱ、英語はわかりやすい。Charles the Great で、終わり。もともと Charlemagne だって、言うまでもなく、magneの語感はある。ラテン語では、Carolus Magnus、というか当時というかそれ以降も欧州というのは、書かれた歴史ではラテン語なので、どう呼ぶかというのはそれほど問題でもなかったのだろうから、まあ、こういう問題はまさに国民史というものでもある。
 Carolus Magnusだが、英語でベタによむと、キャロリュース・マグナスか。Linuxリナックスとか読む日本英語だと、カルロス・マグナスか。
 そういえば、カール大帝、の、大帝が戦前の響きとか思ったが、それ以前に、カールは、ドイツ語読みなわけで、Karl der Grose ってことは戦前の日本の世界史はドイツ語経由だったか。
 カール・マルテルメロヴィング朝フランク王国なわけで、じゃ、やっぱカール大帝でないとダメか。しかし、その子から、カロリング朝か。
 そういえば、「小ピピン」なのか。ウィキだと、「ピピン3世」。英語だと Pippin the third なわけはなくて、Pippin the Younger。
 まあ、しかし、この当たりの知識は忘れたので、ウィッキをちらちらと見る。
 とはいえ、世界史というのは、大筋というか有名人あたりは英語で勉強しなおしておくと意外と便利なもの。

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人名の世界地図: 21世紀研究会
 
 そういえば、シーザーサラダというのは、シーザーことカエサルが好んだサラダに由来する、帝王切開もそう……つうのはべたな嘘だが。
 ⇒Caesar Cardini - Wikipedia, the free encyclopedia

Caesar Cardini (born Cesare) (1896-1956) was an Italian hotel owner, restaurateur, and chef in Tijuana, Mexico. On July 4, 1924 he invented the Caesar salad, a popular salad in the United States.

 シーザーさん、生まれたときは、Cesare だったわけで、あとで英語風に変えたのか。

ケータイかぁ

 あまり使わない。もちろん持っているというか、15年くらい前から持っている。だからなのか、あまりパーソナルなツールには思えない。というか、ケータイがあったら、自分の青春はどうなっただろうかなと、時折思う、というか、最近の若い子を見ていて思う。
 MOSが24時間やっているので、深夜なんぞいくと若い子がけっこういる。ケータイで連絡などもしているのだが、恋人か?とか思う。
 そういえば、遠距離恋愛というのが昔はあった。今でもあるのか? というかヒッキーの歌にそれがあったからないわけでもないんだろうが、よくわからない。
 あー、話は、自分の青春時代にケータイがあったらどうだっただろう? なんかまるで想像できないというか、そのあたり、俺は決定的に化石系の人間なんじゃないか?
 メールは昔からあったというか、84年にパソコン通信が始まってからずっとあった。ただ、ケータイでメールというのは当然ない。これもなんかなじめない。
 長電話というのは一時期あった。恋愛のシーンとかではないが。現代でも長電話というのはあるのだろうか。IP電話は事実上無料なのであるのか?
 なんかさっぱりわからない。マジ、爺ってやつだな。