春秋(12/31)
わけあって全文引用する。
「あさましかりつる年も暮れて、治承(じしょう)も5年になりにけり」。福原遷都、奈良焼き打ち、源頼朝が東国で挙兵、以仁(もちひと)王の乱、と多事多端の治承4年を平家物語は「あさまし」と総括した。前年、前々年は「年去り年来(きた)つて」「今年も暮れて」と淡々と書いて対照的だ。
死者100人を超すひどい鉄道事故が起き、アスベストによる不気味な健康被害が明るみに出、いたいけな女の子が殺される無残な事件が続き、公認会計士・弁護士・建築士と重い責任を持つ専門職業人の職務違背が相次いだ、今年1年を振り返れば「あさまし」と思う。
アナス・ホリビリスはラテン語で「あさましかりつる年」である。エリザベス英女王が十数年前に使い、世界の流行語になった。女王は先のクリスマス演説ではテリブル・イヤーと言って米国のハリケーンやカシミール地震、ロンドン地下鉄爆弾テロなどを挙げ「この恐ろしい年に、愛する人を失った多くの人に思いを寄せます」と述べた。
あさましかりつる年も暮れて、平成も18年になろうとしている。英女王はこうも言う。「世界は人間が生きるのにいつも安楽で安全な場所ではないが、私たちにはこの場所しかありません。皆さんすべてが希望と自信を新たにして新年を迎えるよう願っています」。誠にその通り。来年は良い年でありますように。
平家物語該当文脈は以下。
同じき二十九日、頭中将重衡、南都滅ぼして北京へ帰り入り給ふ。入道相国ばかりこそ、憤りはれて喜ばれけれ。中宮、一院、上皇、なのめならず御歎きあつて、「悪僧をこそ滅すとも、多くの伽藍を破滅すべしや」とぞ御歎きありける。もとは衆徒の首、大路を渡して、獄門の木にかけらる由、公卿詮議ありしかども、東大寺、興福寺の滅びぬる事のあさましさに何の沙汰にも及ばず。ここやかしこの溝や、堀の中にぞ捨て置きける。 聖武皇帝宸筆の御記文には、「我が寺興福せば、天下も興福すべし。我が寺衰微せば、天下も衰微すべし」とぞ遊ばされたる。されば天下の衰微せん事、疑ひなしとぞ見えたりける。
あさましかりつる年も暮れて、治承も五年になりにけり。
大辞林より⇒あさまし・い【浅ましい】
(形){_シクあさま・し}〔驚きあきれる意の動詞「あさむ」の形容詞形〕[一]人間らしくないありさまで情けない。(1)(心・性質などが)いやしくて嘆かわしい。さもしい。「人のものを盗むとは―・い根性だ」
(2)(姿・外形などが)みじめで見るにたえない。見苦しい。「落ちぶれて―・い姿となる」「―・く瘁(ヤツ)れたる面(オモテ)を矚(マモ)りて/金色夜叉{紅葉}」
[二](1)事の意外に驚きあっけにとられるさまを表す。思いがけないことだ。驚くばかりだ。あきれかえるばかりだ。よい場合にも悪い場合にも用いる。「かく―・しき空ごとにてありければ/竹取」「あげおとりやと疑はしく思されつるを、―・しううつくしげさ添ひ給へり/源氏{桐壺}」
(2)(「あさましくなる」の形で)死ぬ。「院の御悩み重くならせ給ひて、八月六日いと―・しうならせ給ひぬ/増鏡{藤衣}」
(3)(連用形を副詞的に用いて)はなはだしく。ひどく。「むく犬の―・しく老いさらぼひて/徒然{一五二}」[派生]―が・る(動ラ五[四])―げ(形動)―さ(名)
というわけで、「あさまし」は terrible の意味とやや違う。平家の文脈で考えると、人道(仏道)というか美学が廃れた起きた荒廃を指していてどちらかというと人災。
次に。
アナス・ホリビリスはラテン語で「あさましかりつる年」である。
annus horribilisといったラテン語句はない。これは、女王のユーモア(1992年)。そしてこれを昨年(2004)にアナンが国連で使った。
ラテン語的に洒落の元になったのは、annus mirabilis
⇒annus mirabilis. The New Dictionary of Cultural Literacy, Third Edition. 2002
annus mirabilis
(AN-uhs mi-RAB-uh-lis) A Latin expression meaning “miraculous year.” The term refers to a year in which an unusual number of remarkable things occurred: “The Waste Land and Ulysses both appeared in 1922, the annus mirabilis of modern literature.” 1
‡ The reverse is an annus horribilus, or “terrible year.” Queen Elizabeth II used the term in 1992, referring to a major fire at Windsor Castle and the widely publicized marital problems of her family members.
というわけで、日経さん、古典を扱うときは、もっと丁寧になさい。
朝日社説 企業不祥事 「職業人」の倫理を磨こう
新聞社の職業人の倫理は正しい報道な。イデオロギー的に「正しい」報道じゃないよ。
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ちと早いが。
嘘と事実を交ぜるのがデマの技法
⇒きっこのブログ: それでも食べたい人はご自由に
ごく簡単にデマと妥当な部分を以下に切り分け。
肉骨粉の混ざった飼料について
これは問題。なので禁止するよう米国に国際社会が圧力をかけるべき。
牛脂について
きっこはこの問題をたぶん理解していないと思う。純粋の科学的な問題と食品安全の問題が混同されている。「肉骨粉と同じくらいの感染率が報告されてる牛脂」そんな報告はないと思う。EUでは危険性の指摘はある。が、あくまでプリオンの汚染の問題。ただし、これも問題ではあるので、規制は必要。
「ニワトリたちが、どんなふうに飼育されてるのか」
これはまったく別問題。っていうか、こういうところがきっこのデマゴーグたるところ。これを言うなら、「生卵かけご飯」を食ってそうな中の中年オヤジみたいなきっこに一言あってしかるべき。
養鶏場映像例
これでもデマゴーグ全開。こういう事例はあるだろうが、それはそれで個別に規制すべき問題。
というか、平和問題でもそうだけど、こういう黙示録的映像で呪縛させるのがデマゴーグのやりくち。
数値と論理と経験、証言(言葉)で考えていくことが重要。
品川森一(独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構動物衛生研究所プリオン病研究センター長)について
彼の意見はたしかに傾聴すべき。ただし、行政の判断手順の問題はそれとは別。つまり、行政の判断基準に民主主義として問題があったかというのが問題。
で、今回の措置に問題があったか?
しいていえばあったと私は思う。ただ、その前提に国際ルールに対して日本がどう向き合うのかが問われなくてはならない。
で、そこが曖昧になったのはなぜか?
このあたりを言うと批判されるだろうが、すでにリスクの大半は排除されている現状、トリビアルな問題化したためだろう。
基本的に、この問題の政治性は、追米批判する文脈ではなく、それによって国内の畜産が過剰に保護、猶予されることにある。
国際的にはBSEのリスクの高い国は米国より日本だし。ピッシング依然継続。
参考⇒BSEをめぐる最近の問題 第2回「新たに起きてきた問題」 山内一也 財団法人 日本生物科学研究所
このリスク評価でとくに参考にされたのは,アイルランドで行われた実験成績である。そこでは頸静脈血液についてマーカーとして神経組織特有の蛋白であるsyntaxin 1-BとannexinVのレベルを調べた結果,空気注入法の場合15頭中4頭,スタンガンにピッシングを併用した場合16頭中1頭にマーカー蛋白レベルの上昇が見いだされ,スタンガンのみでは15頭いずれにも上昇は認められなかった3)。この報告が発表された翌2000年にEU科学運営委員会はピッシングの使用を禁止した。
日本ではスタンガンとピッシングの併用が行われている。ピッシングの中止は厚生労働省から勧告されているが,作業員の安全確保のために大部分の屠畜場で続けられている。米国では空気注入法が一部で用いられていたが,BSE発生を受けて国際調査委員会からの勧告により中止された。
っていうか、きっこがちゃんと社会問題に関心あるなら、国内の畜産・肉流通の問題を言及すべき。
そこがすこんとシカトされているのは、耐震偽装問題で、藤田をシカト、マンション問題をホテル問題にすり替えてばっくれているのと同じ。こんなの社会派といえるようなブログじゃないよ。
以下はデマ文の例
牛病の原因の異常プリオンは、牛の脳や目や脊髄や回腸遠位部などの特定危険部位だけに蓄積されるから、そこだけを取り除けば感染牛でさえも安全に食べられるって言い張ってるのが、唐木英明や吉川泰弘などのペテン師たちで
それを言うなら国際ルールはなくなる。っていうか、国際ルール無視のきっこ様って何様?
こうした問題を政局に結びつけるのがデマ
そして、こうしたデマゴーグのおかげで、真面目にBSEと食の問題を考えている人の立つ瀬がなくなってくる。
ところでベジテリアンって?
面白いと思うのだが、日本のかなりのベジテリアンって、食い物だけしか関心持ってない。
ベジテリアンにはいろいろな派があるが、意外と重要なのが、石けん。
普通の国内の石けんだと、かなり牛脂が入っているはずで、インド人的な伝統のベジテリアンでは論外。
イチネタ というか公式確認というだけだが
ホゲナシ 代わりに重いが
⇒livedoor ニュース - 30市が固定資産税を減免 朝鮮総連施設で政府調査
ホゲ的には⇒livedoor ニュース - みの反発 台本無視も 31日紅白本番 曲紹介だけじゃプライド許さん
しかし、たぶん、なんにもないでしょう。
ロングテイルとは
英語で、wrong tale つまり、「間違った話」という意味。
インターネットによって、これまで「2:8の法則」などといわれていた2割の社員が8割の売り上げを稼ぐ、という法則が成り立たなくなってきている、といった話。
こうした間違った話が流布されてきたのは、生物学的な知識が普及してこなかったため。例えば、働き蟻を見ていると、みんな働いているように見えるが、実際は、9割は無意味な活動をしていて、捕食に関係しているのは1割。しかし、その1割を取り出すと、そのうちの9割はやはり無意味な活動になる。このように、効率性からみた非効率性の減衰が長い尻尾のように見える。なので、「2:8の法則」で割り切るのは、間違った話、ロングテイルである。
流通コスト、在庫コストがネットビジネス、カタログビジネスでは従来のビジネスに比べて圧倒的に低く抑えることができるので、細かいニッチなアイテムを数多く集めることによって無駄な在庫がゴミ屑となることも暗示する。
ぶくまはどっかおかしいかもしれないというか何かキモチイイかもしれない
ぶくまのコメントで批判するのは別に良いか悪いかわからない。だから「何故ダメか」が書かれていないから否定的なコメントなのか書かれた側からすれば判断がむずかしく厄介でわからない。ただでさえぶくまはリアクションしづらいのにそれだとリアクションのしようがないと思われているが、じっとその動向を見ている真引きさんみたいな人もいるのでなんとも言えない。理由を提示しないリスぺクトはおちょくりと取られることもあるだろう。はてなブックマークは結局「ブックマーク」だからそのおまけとしてのコメントからのリスペクトというのは議論を展開する意思というか覚悟がないということなのかなわからない(あるのならば該当エントリのコメント欄に書く、または自分の日記に書くだろうか、よくわからない)。
じゃ、そゆことで。
さて今年もお終い
ま、そんなところかな。このエントリで今年も終わり…かな。たぶん。