ホゲナシ

 しいていうと朝日に必死のミスリード
 朝日⇒米大使館占拠とイラン次期大統領は無関係 CIAが結論
 否定されたのは、写真の人物がということ。事件そのもとの関連ではない。
 元ネタはこれ⇒Reuters AlertNet - Ahmadinejad not man in Tehran embassy photo - CIA
 つまり、こいつじゃないかという写真が出回っていたけど、それは別人だよということ。

The photos were widely published in the U.S. media late last month.

 で事件と無関係とはいかないよがこれ。

Authorities have so far been able to confirm only that he was a leader of the student movement that organized the 444-day siege of the embassy in Tehran.

今日の新聞各紙社説は…

 特にテーマもない。
 特に気になる話もない。

●日経社説 日本のアジア外交を再構築せよ

 くだらね。

●産経社説 靖国神社 静かな追悼の場としたい 赦免決議の原点を大切に

 ここは賛成。

しかし、右であれ左であれ、靖国神社の静寂を乱し、冒涜(ぼうとく)する行為は放置されてはならない。神社側には警察当局の協力を得て厳しく対処する責任がある。靖国神社イデオロギー闘争の場ではない。中国や韓国からの干渉も、静かな追悼の場を乱すものである。参拝したくない人は行かなくてよいのである。

 後半は天皇がらみで頓珍漢。
 いずれにせよ、この季節に持ち出す話じゃないよ。
 それと。

靖国神社には、戊辰戦争以来、国のために亡くなった二百四十六万余柱の霊がまつられている。このうち、二百十三万余が第二次大戦の死者の霊だ。沖縄戦で倒れた高等女学校の「ひめゆり部隊」や、旧日本領の樺太で任務を果たした後に自決した真岡郵便局の電話交換手らも含まれている。心ならずも戦死した人もいれば、信念をもって国に殉じた人もいる。

 今となっては日本人以外もいる。クリスチャンもいる。

●毎日社説 郵政国会と予算 改革の本丸を間違えるな

 まいどまいどの…

 小泉首相郵政民営化は改革の本丸だと言い切っているが、本当の本丸は財政再建だ。郵政改革が評価されるのも、財政改革に寄与する内容である限りにおいてである。ところが、国会も政府も財政再建では思考停止に陥っている。これでは日本経済の土台はさらにむしばまれていく。

●毎日社説 水の日 「水のリスク」を直視したい

 どってことない社説ではある。そういえば先日、ぶらっと小河内ダムを見にいった。いろいろ思うことはあった。国家的プロジェクトが可能な時代というのは限られているものだなとも思った。

●読売社説 [出入国管理]「体制の強化は先進各国の総意だ」

 難しい。論点をそう切るならそうだとも言えるが。

●読売社説 [組織犯罪法改正]「被害者救済へ実効を上げたい」

 これもよくわからないが、暴力団は問題は問題。しかし、警察もなというあたりで、日本は寝苦しい闇の中。

●朝日社説 東アジア 共同体めざして息長く

 中国様版大東亜共有権共栄圏ならよしか。くだらね。

●朝日社説 義務教育費 分権の流れを見失うな

 よくわからないのだが

地方への不信にとらわれて、分権の流れを見失ってはならない。

 地方分権しろと。
 ま、朝日的にはそうか。金蔓だし。
 もうちょっと含みがありそうには思える社説ではあるのだが。

ダル感

 8月1日になった。ああと思う。
 そういえば月刊現代を買っていない。タイトルから察するに朝日擁護NHKバッシングではあろうなと思うが、予断なく資料を見たい。先日のNHK側の資料は概ねあんな感じだろうと思うが、ヌケはあるように思えた。特に後半の自民党との関連の人物部分がなんか霧がかっていた感じを受ける。つまり、現場からみればそうだが、そうでない上の動きもあるのだろう。
 基本的に日本のこうした権力の行使はオヴァートなものではないので、本田記者的な正義はただの鉄砲玉でしかない。が、そういう鉄砲玉が効を成すこともあるので以下略。
 他、特にニュースもない。溥儀の話がやや面白いが、まだディテールが出てこない。
 ダル感は個人的なものもある。
 昨晩、花火を見に行った。久しぶりのことだ。内地に戻ってからだから10年ぶりか。昔の見所ポイントは知っているのでいくと、人は思ったより少ない。地元関連の人はこのスポットを知っているはずなのにと思うが、花火が娯楽ではなくなりつつあるのか、情報がレギュレートされているのか。
 花火は、バブルの時代にくらべるとしけたものだなとは思ったが、あの天をつんざき視界に広がる、どん、はよいものだ。
 帰り際、やさぐれ感が出たものの、さて飲み屋というわけにも行かず、とりあえずモスに入ったら混んでいるはタバコがというので、辟易として出る。と、松屋というのがあり、麦とろ490円とある。喰ってみるか。というか、席にすわって、ねえさんに麦とろとか言うと、食券をと言われる。知らなかった。そういえば、この手の店に入るのは10年ぶりか。
 出てきた麦とろ飯に文句は言うまいだが、やさぐれ感にベストマッチであった。麦飯はご飯の上に載っているだけだし、山芋がどろどろであった。なんだかなである。これだと原価100円くらいか。豚肉がちょっとついていた。150円くらいか。しかし、まずしい国だな日本とも思うが、ま、しのごの言わずにカウンターでやさぐれ飯を食う。なんか心地よい。昔よく旅をして不味いものを夜の街で喰ったことを思い出す。
 と、店内にカップルが多い。そういえば、花火見もちらほらと見た。よくわかんねー浴衣を着た大きな女たちもいた。日本人かと思うがそう思う俺も歳だな。
 松屋のカウンターで飯を食っているカップルはなんかそれなりに清楚で、よさげな印象を受けた。ちょっと気の利いた女なら同じで千円札で、ちょっとしたディナーができそうなものだが、そうは言うまいである。なにも気の利いた女なんかいらん。気の利いた男でも同じ以下略。しかし、そんなものでもなかろう。
 自分が青春だったころ、あるいはもう少し若かったころ。年上の街のカップルはちょっとうるさい感じがした。ナウデヤングな雰囲気だった。私の世代は、ポパイとかのちょい前もあって、そして大学紛争とか終わった時代で静かなものだった。というか、まったりとしたつき合いのようなものはなかった。それに、抑えていたけど、性はぎらっとしていたようには思う。そういえば、街中に、エロ映画のポスターとかも溢れていた。
 現代のさらっとした、松屋なんかで飯を食っている若い子たちは、性的部分でもさらっとした印象をうけた。

若い子たち

 よくわからん。
 階層差があるないとか言われているが、あるように思う。
 上流というか品のある家の子というのは目立たないものだ。
 若者論などはたいてい外すのが相場。テーマにするだけ馬鹿の証明でもある。でも、はてななんぞの若い兄さんねえさんたちはそれでもある種のエリート層なんだろなとは思う。
 沖縄で暮らしていたころ、ときたま、東京にステイして思ったのは、コンビニとかファーストフード店員の若者のぞんざいというか情味のないことだった。沖縄だと、全部がそうだとはいわないが、若い子たちには人間的ななにかが生き生きと溢れ出ることがあり、そのある感性みたいのを知ると、ある種のナイチャーははまるのだろうとは思う。
 東京に戻って三年にならんとしている。三年後生きているものだなと思うし、歳もとったなと思う。思うことはみな無駄だとも思う以下略。
 そして、コンビニの子とかファーストフード店の子を今どう思うかというと、なんにも思わない。むしろ、沖縄よりある繊細さを感じることもあるが、そこに自分の関心が向かない。
 小林秀雄が若者というのは深く隠れると言っていた。それを読んでいたころの私も深く隠れていた。ま、今でも隠れているが一応。西欧の格言に、世に隠れて棲め、よく隠れた者はよく生きる、というのがあったが、ラテン語だったかギリシア語だったか、原典も忘れた。
 隠れて棲めとか息巻かなくても、生活のある知性というのは、そっと社会のなかに隠れるものだ。土居健郎が愛の本質は隠れることと言っていたが、そういうものだ。その知性と愛とはそして関係はあるのだろう。 オカルトというのも、それ好きの人たちはぶざまに騒ぐものだが、本来は隠されていたものであると同時に、隠れるものだ。
 書物を読めば利口になると思っている人になにか言うことは無駄だだ。知識はあったにこしたことはないと言うも以下略。しかし、世に隠れたもの、言葉にならないものは、まさに世に満ちている。というか、そうしたことを知る人間は隠れる。

表と裏



著者:土居 健郎

販売:弘文堂

価格:\1,050

媒体:単行本



通常3日間以内に発送

 土居健郎は存命であろうか。知らない。
 お会いする機会が数度あったがみごとにその都度逸した。
 土居健郎は「甘え」で有名だが、彼の理論は、一部の専門家はきちんと読んでいるが、広く読まれている部分についてはまるで頓珍漢に広まった。土居健郎はきちんとしたフロイディアンであり、その理論のキレイな補正になっている。ま、専門家は読めているのだから、私なんか言うことではない。
 で、この本だ。
 あまり話題にはならなかったが、愛について深い考察がしてあった。こういう思索というのをいつからか見なくなった。
 ある程度知性のある人なら得るものが多いとは思うが。

永岡洋治関連のニュースのクリップ

 ぶくまには重たいのでこっちへ。
 ⇒代理戦争に自民党圧勝 永岡氏当選の陰に山口会長

 「バンザーイ」「バンザーイ」。二十七日夜、総和町永岡洋治選挙事務所に、初当選を祝う歓喜の声があふれた。満面の笑みをたたえた永岡氏の隣に、自民党県連の山口武平会長が寄り添う。象徴的な場面だった。
 というのも、七区補選の主役は山口会長と、服役中の中村喜四郎元建設相。そこに、昨年の県議選に絡む中村派県議六人や、会長と以前からの遺恨を持つ実力者、川口三郎県議らも加わり、まざまな意味で代理戦争となった。

◆遺恨◆
 山口会長と中村元建設相の遺恨は、二〇〇〇年の総選挙にさかのぼる。談合絡みの埼玉土曜会事件をめぐり、中村元建設相が「あっせん収賄罪」で逮捕された。一審有罪判決を受け、自民党県連は農水省エリート、永岡氏を擁立して党本部に公認申請した。
 一九九六年十月の総選挙では、判決前ということもあって、県連は「中村推薦」を決める。結局は、中村元建設相側が「迷惑をかける」と断り、トーンが弱い「支持」とし、対抗馬を立てずに再選に協力をした。
 田中角栄・元首相、藤波孝生・元官房長官…。自民党は、不祥事で離党した大物に、有罪判決後も対抗馬を立てない。そうした「文化」の流れからすれば、永岡擁立は中村系にとって裏切りに映る。選挙では、会長を「独裁者」と非難した。
 中村派県議は追放されるが、処分保留中の昨年暮れに、中村氏が山口会長の地元、岩井市の県議選に対抗馬を擁立した。同派県議も同調すると、県連から公認されず、選挙後に除名処分が決定。新たな遺恨が、七区の吉原氏支援につながった。

 関連
 ⇒中村喜四郎 - Wikipedia
 ⇒本ホームページの目的

はてなQ 知り合いの女性が出会い系サイトで素敵な男性を見つけました。彼は社長さんなんだそうです。

先日おうちに招待してと頼むと、「家は会社名義で事務所も兼ねているからもっと仲良くなってからね」と言われたそうです。自分の家を会社名義で建てることって多いのかな〜?何かよくわからないんだけど詳しい人、法律的な面も含めて教えてください。何かうさんくさいような気がします。

 胡散臭いのはそこか、と思わず一言。

NHKスペシャル アフリカ ゼロ年 4

 NHKに情報がめっからん。
 ⇒NHKスペシャル アフリカ ゼロ年 : TV : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 ほいで、4を見た。
 嘘くさい話だった。
 テーマは南アフリカエイズ問題。話の筋は、アパルトヘイトによって貧困が構造化された南アの貧困層は、米国が主導となる特許権保護のためエイズ薬が入手できず、多くの人々が死んでいく。ということで、ツツ神父まで出して、グローバリゼーションを呪わせていた。WTOならいいのにFTAはひどいというふうでもあった。
 こういうヒューマニズムを装った欺瞞を垂れ流すNHKは問題だと思う。
 エイズ薬だが、完成したとは言い難い。その開発のインセンティブをどうするのかこの番組は答えていなかった。しかも、カクテル療法の場合、耐久性が問題になるのにそれにも触れていなかった。あたかも米国がコピー薬を認知すれば問題は解決するかのようだった。
 アパルトヘイトによる貧困の問題がどうしてエイズに直結するのか説明がなかった。いくつかの事例で、貧しいから女性が身体を売らなくてはならないといった映像だけを流していた。それとこれとは話が違う。
 貧困層はそれ自体で悪ではない。貧困だって生きていければいい。もちろん、それすらできないのだというのはわからないではない。しかし、その場合でも、国家が保護と自由の基盤を作ることが重要だ。
 そして言いにくいことだが、すべての場合とは言わないが、かなりのエイズは防げた。それを妨げたものは貧困であると言えるだろうか。それは、人の意志と、倫理を奪う発想だと思う。
 というか、国家が成り立つこと、人が生きることには、倫理を持つ自由と危険がある。その責務をすべて個人なり国家に持たせるわけにはいかないだろうが、NHKのこの番組はその根幹が間違っていた。その間違いは、人間の尊厳への挑戦だということがわかっていない。
 アフリカ問題は貧しさが原点にあるのではなく、政治が機能しないこと。その政治を機能させない仕組みが問題だ。そして、今となってはエイズがその問題をさらに悪くさせている。それはわかる。しかし、対処はまず政治だ。政治が強い意志となるには、やはり国民性が必要になるのだと思う。その国民性のエートスはなにから生まれるのか。

はてなQ ついでにもう一問。コーラという飲み物を、ジュースというジャンルに加えることは是か非か。

 問いも面白いけど回答も。
 ちなみに、現代英語だと、コーラは soda 。
 ジュースは、juice だけど、単独では使わないと思う。Apple juiceとか。つまり、「絞り汁」だよね。
 ついでに。
 ⇒はてなQ ちょっと定義がまずかったのでもう一度。牛乳という飲み物を、ジュースというジャンルに加えることは是か非か。
 つまりなにを絞ったか。Milk is cow breast juice. なわけねー。
 字引を見るとDefinition of Juice
 植物に限定されてますな。
 ついでに。
 日本でエードとか言っているのは、英国英語だとSquash のようだ。米語は?

そういえば英語の発音ことだが

 ⇒極東ブログ: メイドさんの話

さらにずっこけるが、「メール」を「メイル」とかワザトラに書く人が世の中にはいるが、英語の発音は「メール」。

 と釣りを狙って書いたのだけど。
 ⇒http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/07/post_b9be.html#c3328451

辞書の発音記号ではメイル、ですな。(つかそもそも英語で「エー」っていう発音あったっけ?)

 とコメントをいただく。
 発音記号は発音を表してないんだよ。あれは表記の便宜。特に二重母音っていのは、日本人は、母音を2個つなげたものだと思っている。違うんですよ。ってか、実際にmailのネイティブの発音きいてごらん。(特に、流音や鼻音に連続するときは「イ」の感じは消える。これがmateのように破裂音だとちょっと「イ」の感じは出るけど。)
 それと、日本語の場合、ファースト・モーラとセカンド・モーラはイントネーションが反転するのですよ。メイルって書くと、「メ」と「イ」でイントネーションのチェンジが起きる。
 これはほとんどの日本人が勘違いしているけど、たとえば、「おばさん」と「おばあさん」だけどこれは「あ」の有無ではなくて、「ば」と「あ」でイントネーション・チェンジがあるのが認知のキューになっている。これが「おばーさん」だとそうはいかない…と言いたいのだけど、現代日本語だと、「おばーさん」とか書いて、音引きのところを自然に「あ」と読み替えてしまうから…ちょっと理解しづらい。「じーさん」も実際には「じいさん」としている。でないと、G3みたいな音になるはず。

英語の発音だが…

 genuine というのをどう発音するかという議論が昔、Japantimesのコラムにあった。
 Q&Aみたいになっていて、質問者は、これを、「ジャヌワイン」みたいに発音する人いるけどいいのか?みたいな話。
 回答は忘れたけど、それでもいいみたいだったと思う。
 今、音声合成させてみたら、ま、そう聞こえないこともない。
 推測するに、どうも、米人というのは、WとUを同じと思っているふしがある。
 だから、gen + wine に見えるのだろう。
 gen といったら、創世記の、ジェネシスじゃないけど、ジェネという連想は働くだろうし、それにワインなのかも。
 そういえば、先日、米国の外交官だったか、要人の発音ができなくて困っていた話があったような。

英語の発音だが… その2

 昔、米人と雑談していて、Lの発音とかで、彼らは語頭のLと、ある語環境のLと、末尾のLの発音の違いを意識していないので、「そうだな、milk というとき、Lの音は、舌を上顎に付けてないんだよ」と説明すると、彼は、milk milk milk と呟いて、発見して、驚いていた。

英語の発音だが… その3

 くどいぞ、と。
 student だけど、ガッコではどう教えているだろうか。
 これ、「すちゅーうんと」ですね。「と」なくてもいいくらい。「で」はないです。ま、全然ないわけでもないけど。
 I woudn't. も、同じで、「あぃうーんと」。
 というか、あの、ヘンテコな「ん」の音は難しい。男だと、のど仏、ぐりんで出す変な口蓋音みたいなもの。発音記号はなんだろ。ま、いわゆるスクリプティブな発音記号ではないですね。

英語の発音だが…その4

 もやめとけ。
 stop と stock の違いは最後の子音だと思っている日本人が多い。ぶー。違います。
 音声テープを作って、この最後の子音を切り落としても実は、米人は聞き取っています。
 というわけで、実は、o の音が違うんですよ。pに続くoと、kに続くoがちがう、と。
 そこまで言う? というあたりで、実は、発音記号というのは、実は、物理的な発音でも、また、認識モデル上での発音でもないわけです。
 どうしてこうなるのかという説明は難儀ですが。

英語の発音だが…5

 うぜー。
 cars と cards は発音が違います。
 で、複数のsとか三単現のsとかが清音になるか濁音になるか…これは米人は意識してない。
 口の動きが出す音がどっちかというだけのこと。(そうでないこともあるにはあるけど。)
 定冠詞のtheも同様。
 そうしてみると、英語の音っていうのは、パーセプティブな音じゃないのだなという面もあり。
 じゃ、なによなのだが、ある種のモーター、舌とかの筋力の運動能力じゃないかと。
 これはけっこうマジな仮説だったのですがね。