暑い…
ネットを見ても暑いという声をあまり聞かない。なぜなんだろ。
今日の新聞各紙社説は…
鳥インフルエンザが主要なテーマだが、どれも内容なし。資料にあたるとか、現場の記者に訊くとか、専門家に訊くとかなんかして一ひねりだせないものか。
たとえば⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050518/1116422901
他は話はまばら。そして、特に気になる話題もない。
話がそれるけど、最近、なんかまじめくさった学者ぶった左翼の馬鹿文章を見る機会が多い。なんか学問的な装丁をしてまじめな文体で書けば真面目な議論になると思っているのだろうか。ファクツから出発し、ファクツが寄せる疑問にできるだけ地べたで考えるってことしないでどうすんだろ。
そういえば、ラムちゃん負け負け発言を取り上げた社説はなかった。なぜ?
そういえば、ユノカルもちゃんと取り上げられてない。なぜ?
●日経社説 今度はGMが自助努力を
こんなこと日本の社説に書くこっちゃないよ。
●日経社説 世界との協調が課題に・イラン新政権
内容なし。
●産経社説 経産省疑惑 不審な点があまりに多い
そんなたいしたカネではないと思うが。
●産経社説 鳥インフルエンザ 早期察知の体制を整えよ
っていうか、WHOのニュースを執筆爺さんたちは知らなかったのか。
●毎日社説 サイパン慰霊 平和を祈り 誓い新たに
ちょっと思うことがあるけど、書かない。
こうした問題は理念を先行させてそこで上滑りさせるとろくでもない。平和の礎も私はなんどなくて足を運んでわかったことがいくつかある。
●毎日社説 米国BSE リスク評価に日米協力を
うーむ、馬鹿じゃなかろか。日米協力っていう枠組みの問題ではないのに。
●読売社説 [イラク再建]「まだ必要な国際社会の支援」
昨日のラムちゃん負け負け発言を受けているのか。
にしても、なんか内容なし。
●読売社説 [鳥の感染症再発]「弱毒性でも油断はできない」
内容なし。
●朝日社説 日韓歴史研究 難しいからこそ
この執筆者はちゃんと大学を出ているのか。ま、高卒でもいいから、ちょっと現場を取材してはどうか。
●朝日社説 鶏感染 警戒を緩めるな
内容なし。
イチネタ
⇒PJが招待されて、M氏がソウルに飛んだ。
そのとき、一羽のカモメが飛んだ…飛んで飛んで…。
はてなQ 世界を記述する方法は、古典力学から相対論、量子論と進んできたわけですが、新たな理論の研究は行われていますか?
うーむ。なぜこの問いが出てしまうのだろうか。
ってか、クーンとかちゃんとは読まれてないのか。
今上陛下の徳に心を打たれる
⇒Sankei Web 社会 両陛下、慰霊の祈り サイパン(06/28 15:12)
また、当初の予定になかった沖縄出身者の慰霊碑「おきなわの塔」と朝鮮半島出身者の慰霊碑「韓国平和記念塔」にも立ち寄り、拝礼された。宮内庁によると、礼を尽くしたいという両陛下のお気持ちから実現したという。
左の馬鹿者⇒はてなブックマーク - 両陛下きょうサイパン訪問『韓国人犠牲者も慰霊して』
右の馬鹿者⇒はてなブックマーク - さるさる日記 - 勝谷誠彦のחな日々。2005/06/28 (火) 日韓冷却のおかげで陛下の訪韓絶望的なのはめでたい。
今上陛下の思いを察することができなかった勝谷だがかく反省しているだけまし。
■2005/06/28 (火) 号外。天皇皇后両陛下韓国人慰霊碑に拝礼の恐懼。
感動を押さえきれずに号外を書く。官邸にも外務省にもできないことを、鮮やかといか言いようのない美しさで天皇皇后両陛下がサイパンでやってのけられた。「中部太平洋戦没者の碑」に参られた両陛下はその足で「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にも拝礼なされたのである。更には現地島民の「マリアナ記念碑」と米軍戦死者の「第2次世界大戦慰霊碑」にも花輪を捧げられた。
無痛文明論
たぶん、かなりの人にとって、つまんないんじゃないだろうか。
私はどうであったか。というと、微妙。
障害や人生の理不尽さ、自分は天才ではないかという思い込み、死の恐怖…こういった感性は、ちょっと驚くほど自分に似ているし、この日記などに書き散らした断片は、この著者、森岡正博に似ているふうに見られるだろうなと思った。年代的にも1つ違いだし。
いや、似ているのだろうなとも思う。
ただ、読み進めつつ、なにかが決定的に違う、そのなにかがもどかしかった。
私は、例えば、宗教に救いなど求めない。私にとって宗教とは…なんだろ?なにも信じてないような、それでいて、ま、こっそり言うのだが、私は、ふっと神を感じることがある。当たり前なのか奇怪なのか、別に多重人格でもない。ただ、こうした感覚は文章にするとご覧の通り奇矯だし、また、私の書くことは多分に奇矯だ。
「自分は天才ではないか?」的な内的な了解は、その面では森岡と似ているようにも思うが、私は、自分が優れた人間だとはまるで思っていない。このあたり、たぶん、言うだけ無駄なので言わないのだと言いつつ言うと誤解されるだけかもだが、誤解されても意味もないのだが、自分の思索や感覚のコアはなにか自分に所属してないような感じがある。なんか、糸のようなふーっと流れてくるような。外来性というのか。脳のなかに扉のようなものがある感じといいうか。しかし、現実的にはそこから出てくるものがなんらか世の中で役立つわけでもなく、社会的な意味で天才どころか、むしろ欠陥人間のようでもある。ADHDとか自閉症とかなんかそういうのに近いのではないかなオレはとも思う。
死の恐怖はいまだ絶叫することがある。まったくな。
森岡は身体とか生命とかそういうタームをこの本で散らしているが、なんかあまり実感がない。なんか、それってうもない、みたいな感じだ。彼より私とかいうつもりはさらさらないが、私はけっこう官能的な人間(エロっていうこっちゃないっす)じゃないかと思う。現実にはただのつまんない現実主義者でもあるし。ま、自己規定など面白くもない。
くだくだくだと。しかし、そうしたなんかドツボリそうな循環というのはあるにはあるのであって、そういうのを奇妙に刺激する本でもあるように思う。
自分にとって自分の人生とはこれっきりだったのだが
ま、世間的にはハズレでした。
48歳にもなり、なんの才能みたいなものの結局なかったのだな、オレは無能だなと思う。
朝日新聞だのに馬鹿だのくさしているのは、そういう劣等感の裏返しかというと、いえいえ、どっちかというとただのエンタだろうと思う。
人生に意味がなかったかと問いつめると、ま、そうでもなかった。
ここで人生が終わりということでもないことを祈りたいが、こっそりいうとよい人生であったなとも思う。
もっと自然や人間にふれあうようなチャンスがあればよかったかとも思うが、なかなか人生というはそういう思いのままになることではない。地球にははっと息をのむほどの美しいなにかがある。眼前に広がる暗い大海におちる雷は美しかった。鏡のように静寂な海にきっちりと登りだす太陽は神秘的だった。そういう限りない美はこの地球にある。
人もすばらしい人がたくさんいる。
しかし、そうすべてがうまく行くものでもない。
ネット?
なんだろね。こんなものに20年振り回されてきた。という言い方はないか。
コカコーラレモン
飲んだ。C2は結局のまなかった。
で、コカコーラレモンだがそんなにまずくない。飲んでてものたりないので、レモンを足した。
コーラにレモンを入れることはよくある。というほどにコーラは飲まないのだが。
午後の紅茶 氷結レモンとかいうのもまあまあうまかった。
これ⇒キリンビバレッジ | 午後の紅茶
愛玉果
が好きなのだが、ないね、ちゃんとしたのが。
台湾でもなかった。え?とか言われそうだけど。
缶詰はだめだめだし。
まいったなぁ。