ところで今日は…
ちょっと別件が進まず…ブログっていたが…のわりに、それほどニュースを見ているわけでもなく、だらっとしていたが…ブログってなんだろうと考えさせられる日でもあった。
キムタケのところは今後どういうオチになっていくのだろうか。山本も2段を出すみたいだし…さて。気にならんかいえばそうでもない。ブログがねぇ、そういう展開かぁ、と。もしかすると、ブログ史?のエポックになるのかもしれない。わからん。
こんとこ、極東ブログよりこちらの日記がPVを取りつつある。あれま、である。なんだかな、である。たしかにこっちがブログってやつかとも思うが、はてなDの構造のせいか、あまりエントリ書いている気がしない。
勝Pが歳食って孤独を好むようになるとか言っていたが、友人ですら、うまく語りづらくはなるものだ。まして酒を飲まない人生になったので話の間がもたない。そして、友人というのは、過去の重みでもあるな。
先輩というかお世話になったかたが近所に転居したとの通知を貰った。挨拶に行くのが筋だろうと思いつつ、心重い。心重いといえば…ま、それが人生さ、である。
漱石の享年は四九かぁ。道草を書いていたのが48歳かぁ。道草のことを思うになんだか涙が出てきそうだ。人生なんてなんにもかたつくことはありゃしませんよ、だな。
マシンをオフ。
はてなQ 鉄と酸素が反応して酸化鉄ができる
化学反応式は 3Fe+2O(2)→Fe(3)O(4)
なんで、3Fe?3Feになることはどうしたらわかるの?
アルミニウムと酸素が反応して酸化アルミニウムができるのも同じで
4Al+3O(2)→2Al(2)O(3)
という質問を中学生にされました。わかりやすく教えてください。
質問の意味がよくわからんが…はて。回答方法が気にはなる。
追記回答を見た。これでいいのか? 間違っているということではなく、こういう説明が求められていたのか?
はてなQ 結局のところ、薬やサプリメントは何で飲み下すのがベストなのでしょうか。
俗に言われる
・お茶
・牛乳
・グレープフルーツジュース
・ミネラルウォーター
で飲むことの影響について、述べているページを教えてください。
上記のうちいずれかに触れてあるものでもかまいません。
よろしくお願いします。
お茶はタンニンを含むので鉄の吸収を妨げる可能性あり、ただし、実際にはそういう阻害のデータはなし。むしろ、お茶にはカフェインが含まれているので、それ自体がサプリメント(ハーブ薬)。ま、しかし、気にすることはない。
牛乳は乳化作用があるので油性のビタミンなどの場合はこのほうが消化を促進してよい。ハーブ薬なので脂肪と併用すると吸収が悪くなることもあり…。ま、これもどってことはない。一般的にハーブ薬は胃が空のときが良いので消化器官を働かせるようなもので飲み下さないほうがよい。
グレープフルーツはこれはむしろ医薬品と問題を起こすように、ハーブ薬と併用しないほうがベター。ただ、国内ではまともなハーブ薬は流通していないので、それほどどってことはない。
ミネラルウォーターは別にどってことない。むしろ、国内のミネラルウォーターはミネラルウォーターじゃないっていうほうが問題かも。
参考⇒グレープフルーツジュースと医薬品の相互作用
参考⇒テレビ放送されたワルファリンと
グレープフルーツジュースとの相互作用について
参考これはメモ⇒グレープフルーツジュースが薬の効き目を変えることがあるそうですが。
で、ちょっと続く
「木村剛銀行」の可能性と、実際の「木村剛銀行」の意図の差異の問題だ。つまり、「木村剛銀行」が本来の可能性を持ちながらも、その運用において失敗したのか?
この問題は、ま、失笑される向きもあろうが、ちょっと丁寧に扱いたい、といって書くのは雑駁だがな。
で、ちょっと考えれば、「木村剛銀行」の可能性など日本社会において無理無理だというのはわかる。キムタケマジックでできそうな気をさせるところが奇妙に希望を惹きつける。でも、それは無理無理でしょうというのは本音の前提だ。でも、それが無理ではないのは…という幻想が、竹中に結びつく。この幻想はある意味でそうした社会の求める幻想がある程度考慮に入れた逸脱だった。というか、日本というのは本質的にそういう逸脱、つまり、ウォルフレンが言うところの信用権として成立してきたからだ。信用権はかつてはいわゆる大手だった。それを実質キムタケが30リストというので潰してみせますよと言うに等しかった。とすれば、ここは、そうですかと飲めば別の信用権をあんたはんが見せてくれるのでしょうと期待が出てくるのはしかたがない。っていうか、それこそが日本経済の構造だったのだからだ。信用権のスロットは開いているという構造があるかぎり、そこに幻想が埋まる、のはしかたないっしょ。
くどいな、っと。
で、「木村剛銀行」の可能性と、実際の「木村剛銀行」の意図の差異だが、まさに、その後者には先の信用権のマジックが込められていた、だから、この話は、「木村剛銀行」の運用のまずさというより、最初からのそのマジックで山を動かしてみまっせということだった。ま、好意的に言うなら、それもキムタケの武士たるところかもしれない。宮崎哲弥、殉死しろよなみたいなものだろう。ついでにいうと金子勝も一緒にな、マヨネーズもつけてな、そのタコヤキってなものだろう。
さて。
その意図を仕組んだのは竹中なのだろうか。山本曰く、
竹中氏は経済学者としては三流であったが、どうも政治家としてはそれなり以上の手腕を発揮している人物と考えたほうが妥当だろう。事実、小泉政権における経済政策は小泉−竹中ラインで仕切られていると思われる部分が多々ある。もし竹中氏の失脚が実現した場合は、ただでさえ批判の多い構造改革の遅延がさらに遅くなる可能性も考えられる。
先日の参議院選の香ばしさからすると、お大臣様もうふふという感じもしないではない。が、そうか?
と、ここで、私は、ずぼっと、陰謀論へベニヤ板を踏み外そう。
ずぼっ。<-- begin fantasy 竹中は米国のロボットか?
たぶん、その議論は虚しいし、陰謀論としての稚拙すぎる。
そうではなく、結果として、米国側の意図通りに動くほかはなかったといおう意味で、小泉と竹中のマクロは米国の対日戦略でしかない。日本としては、米国に蹴られたら一気に終わる。っていうか、米国はその地獄図を持っているのだろうと思う。それを見たら、どうしようもないと思うし、そのなかでとち狂って、主体的に日本を変えてやるぅぅぅと意気込んでもしかたないだろう。台湾も同じになってきたが、日本には李登輝はいない。本当の意味で日本精神はない。
菜根を囓る気概をもてばことはなし得るが、もはやその気概は日本にはない。ないんだもの。-->
さて、推移はどうなるのか?
いずれ反小泉−竹中ラインの勢力がメディアを押し上げるか。メディアは単純に利害で動く。
小泉−竹中ラインがどう反撃するか。局所戦ではキムタケを見ていけばいいだろう。
で、山本ビール党は? さて。
切隊 木村剛1 〜薮蛇呼ばわりされるのは大変光栄なわけだが
さて。
別の意味でスルーするかなとも思ったし、あまり、この祭に雑音的に参加するのもどうかと思うが、少し触れておく。
一番の問題は、というか、私が懸念している問題はこれ。ま、他の局面もあるのだろうが。
おめーさん、わかってないよと言われるかもしれないが、これは構図としては昔からある古ーいテーマ。ただ、登場人物が新しげで、なんとなく、山本がブログで切り込んでいるという点が新しげ。と、皮肉めきたいわけではないが、山本がこのネタというか論考をThis is YomiuriだかAERAだかなんだかかんだかに寄稿するなら、それはそれ、つまり、昔からよくある構図になる。っていうか、この話題のメタ部分にあるブログ性っていうのはなんだろ?というのは、ちと留保したい。というか、分けて考えたい。たぶん、昨今山本がジャーナリズムとして想定していたのはたぶんこのレベルなんだろうというのも保留に含める。
で。それはそれとして。
当の問題だが、雑駁に言えば、たぶん、波及するのだろう。というか、波及する潜在性があるのだろう。そのあたりを、たぶん、山本は本気で切り込むのだろうな、武士だなと、思う。
当然だが、政治マターになれば、その余波はさまざまに起きる。単純に言えば、竹中を引きずり降ろし、小泉を引きずりおろすわけだ。というか、そのエフェクト部分にずるっと食いつくやつらがうじゃっといるのだろうが、現ポスあたりのトーンで伺えるわけで、そこから各種の狂言回しが出てくる(落合伸治氏とかそーゆーことではないのか)。くどいが、山本はそれを見越して切り込んだのだろう。
さらに別の言い方をすれば、結果GO!の動きがずるっと見えてくるのだろう。ま、それはそれだ。
話をちと変える。
この問題、当方も武家の端くれとして(洒落だよ)黙るのがスジかなと思う。
ただ、そのスジをはずせば、「木村剛銀行」とはなんだったのか? その可能性、必然性、日本での意義性はなんだろうか。
甘っちょろいことを言う。「木村剛銀行」の可能性は、先の政治マターで葬り去られるのだろうか。そこだけが、もちろん、話の筋が違うとはいえ、心にひっかかるところだ。
15歳の読解力低下が浮き彫り 処方せん見えず
処方せん⇒処方箋
そのあたりが処方箋だったりして。
冗談はさておき、読解力というのは世相とも関係があり、現代の情報化がそれを求めていないのだからしかたがない。そして、現代は別の能力を求めているので、尺度を変えれば日本が高得点になるのではないか。
読解力をどうつけるかというのは、基本的には、文章化された思考力の問題であり、思考力というのは基本的に対話の問題ではないだろうか、と、思うけどね。
VOA IAEA: North Korea May Have 6 Nuclear Bombs
日本では、もはや、誰も、耳を傾けない。
⇒NYT North Korea Said to Expand Arms Program
BBC China's ailing health care
必要なのは裸足の医者…スマソ、悪い洒落だった。
メチル−イソチアゾリノン
methyl-isothiazolinone or MIT
メモ。
那覇署一斉取り締まり 松山歓楽街
またやっている。しかし、これは、内地様御用達だしな。でも、しょっ引かれるのはウチナーンチュ。
残飯で育てた豚給食に 「くいまーるプロジェクト」
なんか問題が起きそうだが…。
DFS15日プレ開業/国内初の空港外免税店
国内初の空港外免税店「DFSギャラリア・沖縄」が15日、那覇新都心の沖縄都市モノレールおもろまち駅前近くにプレオープンする。高級ブランドがそろうブティックなどのショッピングエリアや約550席の飲食店が充実。売り場面積は約1万平方メートルで、DFSグループ(本社・香港)としては、ハワイに次ぐ2番目の規模となる。新たなショッピング施設の誕生で、沖縄への集客効果など、観光業界からも期待が高まっている。開業に伴って、全体で740人を雇用、うち県内出身者は710人採用する予定。本格開業は来年3月中旬になる見通し。
空港外免税店制度は、沖縄振興特別措置法に基づき、沖縄の観光振興を目的とした国内唯一の制度。
国内線の利用者が、空港内で免税品を購入できる従来の特定免税店制度に加えて、那覇空港から出発する国内線利用者に限り、空港外の施設で免税品を買うことができる。購入した免税品は、那覇空港内の引き渡し場所で受け取る。
これが空港内のはあんまりメリットなかったんだけど、今回はどうか? だめっぽい。
はてなQ 江藤淳はなんで三島由紀夫が嫌いだったんでしょうか?
ぷっと微笑してしまった。
こういう質問をさらっと出してくるっていうのもいいのかもしれない。
私の年代の大学の先生たちはきちんと答えられるだろうか。きちんと彼らにわかるように答えるにはどう言ったらいいのだろうか…。
「嫌いだった、というのじゃなのだよ」と切り出すだろうか。
「その前に、江藤淳と三島由起夫について君が知っている話を聞かせてくれないか」と切り出すだろうか。
福田和也はセンセーとしてならどう答えるのだろうか…。
話はずっこけるが、三島由紀夫という人間は、日本語の文脈で論じていくと、あれ?、こいつ変じゃん、たいしたことないじゃん、と、なってもしかたがない面がある。このあたり、現代の日本文学という学問領域ではどうなのかちょっと気になる。というのは、この手薄なところに、すこーんと村上春樹だの吉本ばななだのが切り込んでしまった。ポップカルチャーだのサブカルチャーだのあるいは日本の80年代だの90年代だの論じてみる…。ところが、彼らが欧米で受けるというのはそれなりの普遍性があるだけで、江藤淳の場合は、そこに届いていない、というか、彼自身あれだけ米国を知っていたからこその焦りがあったのではないだろうか。
三島、村上、吉本…仮にこう並べるだけなのだが、彼らは最初からユニバーサルなところにぽつんと立っている。苦悩も至福(美学)もある。だが、そこに近代日本から届くには隘路しかない。酷い言い方をすれば江藤は田舎の大尽様だったと言うに晩年を費やしてしまった。それはまさに夏目漱石のロンドンの苦悩にも近いのかもしれない。
三島は途中で死んでしまった。結果的にみればそういう決着の付け方でしかない。村上春樹は奇妙なことに文学が彼を引き寄せた。彼は結局ピンチョンなどよりも小島信夫をきちんと読む作業を開始することになった。吉本ばななはよくわからない。父を無意識についでしまって意識化をしていない。一生しないかもしれない。
話が飛ぶがドナルドキーンは近代日本文学で残るのは太宰でしょうと昔言及した。太宰はまさに田舎の大尽の感覚からユニバーサルに通底しまったところがある。それはある意味、実に非日本的な感性である。たぶん、東北というのが実は日本ではないからなのかもしれないとも思う。
と、雑に書いているのだが、近代日本文学を論じたいとも思わないし、それほど関心もない。ただ、ある時、日本人は奇妙にぽつんと世界のなかに立たされてしまうことがあると思う。というか、本当の知識人にその奇妙な契機が訪れることがある。ある種の悲劇でもあり、実生活には喜劇的にもなりかねない。むしろ、その喜劇をどう生きるのだろうか? と、自分が道化であることをふと思う。でも、これはこれでおしまい。いや、だから、私は、江藤の作られた悲劇を受け入れない。
そうえいば…
つい、トラヒック、と言ってしまう。NTT用語である。今ではNTTでも言わないのではないか。
NTTや国鉄というのはいろいろ問題もあたったが、すばらしい存在だった、と思う。本当に鉄道が好きなやつやコモンキャリアの責務をもって生きている人がいた。NTTや国鉄以外でもそういう人たちは無数にいたのだろうと思う。日本にはよい面もあったし、おそらく、社会主義というのはそういうものだったのだろうという幻想を持たせた。
しかし、もちろん、幻想でしかない。歴史は進む。
そして、過去にはもどらない。
フランスでは国鉄(基本的に国鉄しかない)の切符販売コンピューター網(網だ!)が麻痺した。携帯網もふっとんだ。大丈夫かフランス、いや、大丈夫だ。その大丈夫さが、実は、フランスのすごいところなのだ。
はてなQ はてなダイアリーを利用の方で、他のブログサイトをも併行して利用されている方にお尋ね致します。
はてなD以外の利用中ブログ
選んだ理由
利用開始後に気がついた長所・短所
無料コース、又は有料コース
各ブログの主な利用目的
例(はてな:日記として A ブログ:趣味の話
B ブログ:政治経済の話 C ブログ:友達との交流)
質問者の背景説明:
はてなダイアリーにすべての書きたいテーマ・ジャンルをてんこ盛りにするか、
テーマ・ジャンル別に他のブログも利用するか、思案&模索中なので、
皆様のお話を伺い参考にさせて頂きたいと存じます。
何卒、宜しくお願い致します。
はてなD以外の利用中ブログ→ココログ
選んだ理由→トラヒックに耐えそうだからと、固定エントリが実在だから
利用開始後に気がついた長所・短所→長所とくになし、短所まだバグが多い
無料コース、又は有料コース→有料、そりゃブログはね。
各ブログの主な利用目的→ただブログ
はてなQ 感冒薬を処方より余分に飲んだところ、背中の右側に重苦しい感じがあります。感冒薬の副作用として考えられることは何かありますか?
ない、と思う。追記:可能性としてはあり…コメント欄参照
OTCの場合は、注意書きに可能な副作用は列記してあるので、はてなQに出すより、それを読むのが先っていうか、どのOTCを飲んだわからずに副作用はわかるわけもない。
はてなQ i-podを買おうかと思っているのですが、i-pod(i-tune?)ではMDの様に曲を好きなところで分解できるのでしょうか?
できない。できるわけがない。
MDだってできない…のがフツーだが。追記:できるそうです。コメント欄参照
じゃ、どうするかというと、MP3の段階でカットすればいい。
MP3のカッティングにはこれを使え⇒mpesch3 - moved to mpesch3.de
福澤諭吉 - Wikipedia
ちょっと気になって福沢諭吉の項目をチェッーキ。
だめだこりゃ。
⇒福沢諭吉全集、無関与の論説収録か−−「大陸の王者」目指さず?
岩波書店が1958〜64年に刊行した「福沢諭吉全集」(全21巻)に、福沢が全く関与していない可能性の高い論説計78編が収録されていることが分かった。研究者の間では、福沢は中国侵略を肯定していたとの指摘があるが、78編の中には研究者らが“侵略主義者”とみなす根拠とした論説も含まれており、今後論議を呼びそうだ。
散人先生 12/7 Today 西郷隆盛生まれる (1827.12.7)
言うまでもなく彼は旧暦の時代で生まれたので現代でいうなら、1828年1月23日、大寒のころだろう。ま、それはそういうことだけで、先生のエントリへの批判とかではない。
エライ人と言われますが、征韓論を唱えたり、反乱を起こしたり(西南戦争)、あまり時代が読めたとは言えない。当然靖国神社には祀られていません。でも西郷さんが好きな人は靖国神社も好きなことが多い。矛盾を感じないのかしら。
西郷はまさに賊だったわけだが、その機微こそを知ることが日本人でもある。
気になるのは西郷の征韓論なのだが、Wikipedia征韓論が薄い。情けない。
参照⇒(西郷隆盛の生涯)西郷の遣韓論
詳細な歴史議論としてはいろいろ問題はあるのだが、このあたりのことは国民の常識となって欲しいものである。
勝P 44歳になって思うのは孤独が好きになったことだ。
44歳になって思うのは孤独が好きになったことだ。恐らく気難しくもなっているのだろう。残りの人生できれば無駄な人間と関わりたくないものだ。
勝Pの政治議論というか国際情勢論にはそれほど関心はないというか、ここが火もとになることが多いのでヲチという程度が上記はいろいろ考えさせられる。
ま、男44歳というのはそういうものだということ。で、普通、ともいえないし、大半、ともいえないのだが、仮に32歳ほどで結婚したとする。34歳のときには1歳のガキができる。44歳には10歳のガキになる。10歳のガキとは、少年であり、少女であり、自分の存在に強く向き合ってくる。男44歳はそういう少年や少女に向き合う歳でもあり、その背後には、同時に「孤独が好きになる」ということがある。そしてこの時、たいていの場合は、女は若くはない…。
これからの日本の社会は、かなりの人が生涯未婚であり、子供をもたないだろう。そうしたとき、どういう生き様をしていくのか、ある基本的なところがうまく語られていないように思う。
日経社説 ウクライナ、公正な再選挙を
無意味なことを書いている。
問題はもはやそのフェーズではないよ。
日経社説 公務員制度改革を放置するな
これが案外難しい。というのは実生活の庶民から見える公務員というのはつねに多義的だ。だからこそ制度の問題でもあるのだが。
産経社説 NHK不祥事 経営者への視線は厳しい
受信料不払い増加はこれに対する視聴者の意思表示だろう。
これもあえて言おう。こうした言動こそ、視聴者への愚弄だよ。
視聴者は今NHKが倒れることを恐れている。だから、本当に改革してほしいのだ。
毎日社説 自民迷走 憲法改正をもてあそぶな
この議論もまた社内でぶれていそうな感じがするので、パス。
毎日社説 対人地雷会議 全廃の英断を大国に求める
あえて偽悪的に言う、NPOの表明文じゃなくて社説なんだから、具体的に日本の対応を書けよ。日本の置かれた状況について一顧だにしない糞みたいな社説書くんじゃなねー、と。
読売社説 [関西空港]「滑走路増設を急ぐ必要はない」
この問題は端的に私はわからない。というのは、増設というが、それができてこそ関空だったはずだからだ。
読売社説 [新型流感]「WHOの警告を軽視するな」
これはテクニカルな問題が多いのでここで言及したくないのだが、大雑把に言えば、まず社説としての体がなっていない。新聞社が社会に問うという内容がぼけているからだ。
期待が高まっているのが、ニワトリに対するワクチン接種だ。国内では業界団体が感染防止に積極活用を求めており、欧米でも使用例がある。
これだけ見ればまともなようだが、鶏の段階と人に感染可能な段階には大きな開きがあり、そこにここそ行政の対応が求められる。この場合、行政というのは利権のことではないのだが、日本ではここがめちゃくちゃになっている。
かなり粗くいうなら、基本的には鳥インフルエンザということを市民は突出して意識する段階ではなく、基本的なインフルエンザの対応を社会的にしっかりさせること。その最たるものは、患者を社会に出さないような仕組みを会社と学校がつくること。
朝日社説 景観法――魅力ある街づくりに
こちらは大筋で間違っている。
法律ができても利害の対立を解決するのは容易ではなかろう。それでも住民参加で魅力的なわが街をつくる努力を重ねたい。
それができないから、というか、それが難しいから最低の部分で法制化に向かっている。
この問題は基本的にその地域の人々がその地域をどのようなリソースとして扱うかにかかっている。環境に配慮するなら、景観なんか糞であるとしてもよいという許容を示すものと考えたい。
朝日社説 陸自幹部案――とんでもない勘違い
中谷氏も中谷氏である。防大卒で陸自に勤務した、制服自衛官出身では初めての防衛庁長官だった。今も自衛隊との間で互いに頼りにする関係だろう。気軽に改憲案づくりを依頼したのかも知れない。「私的な勉強のためだった」という弁明にもそんな気分が漂っている。
朝日のいう文民統制は若干理解が間違っているようにも思うが…しかし、この問題は大筋で朝日の言い分が正しい。以下が正しいなら噴飯である。
「国の防衛のために軍隊を設置する」「軍隊は集団的自衛権を行使することができる」「首相は緊急事態に日本の領域や特定の地域に緊急事態を布告する」「司法権は最高裁および下級裁判所ならびに特別裁判所に属する」「すべての国民は国防の義務を負う」
細かいことはこの際、置く。基本は憲法とは本質的に国家権力を抑制するために存在することにある。そしてその根源は市民契約による。憲法がなんであるかわからん馬鹿がそれなりに体裁を整えている日本国憲法をいじるな。