はてなQ的な…同窓会

 via:id:sasada:20041018#1098060605
 こうした試みに反感を覚える人もいるのだろうなとは思うが、私としては、記憶にある名前が多く、懐かしい。時が変われば人も変わるというのはある。
 批判に聞こえてはいけないのだが、私の場合、id:masaomixさんという人が活躍しだしたころ、なんか自分は違うなという感じでひいてしまった。

はてなQ 「死にたい」と質問してから1ヶ月たちました。

これから私はどうすれば良いでしょうか?特にやりたいことなんてないし、いまだに死にたいと思うこともあります。よろしくお願いします。 

 Q自体に関心はない。気になるのは以下だ。

いつまでこんな茶番を続けるの?
どこまでみんなの良心をしゃぶり尽くせば貴様は満足するんだ?

 状況がわかっていないのだが、回答へのコメントを見ていても、「どこまでみんなの良心をしゃぶり尽くせば貴様は満足するんだ」感はある。
 状況がよくわかっていないのに私などが口を挟むべきではないのだが、ある悪意のようなものは感じる。

ネットと心の傷…

 ブログのなかでその筆者の心の傷ような記述にときたま出会う。ま、私自身とここもその例外ではないといえばそうでもある。
 そうした時、とても不思議な気はする。
 なぜそんなものを公開するのか?、と。そしてそれについての理屈は付くには付くのだろう。そして、「癒し」という言葉は嫌いだが、その公開とそれを読む人との間に、癒しに近いある心の運動は始まる。
 というのも、人の心の傷というのは、実は、本来的に私的な領域ではないのではないか? 文学などはかつてはそうしたある現れてでもあった。
 吉本隆明太宰治などを論じて、たしか、これを心の傷といえばそうだが、その傷自体が近代の我々の遺産だと受け止めていた。
 ブログや日記におけるそれは、なにか、そうした延長のように思う。
 あまりいい例ではないが、たとえば、20代の女性のつらい内面のようなものを読む。私は電車に乗りながら20代らしい女性を見かける。そこに内面があるのだと思う。もちろん、そう思うか思わないかはそれほど重要ではないのだろうが、強く、人間というものへの喚起はある。
 ま、この問題は簡単に言えることではないのだが…。

コンビニで立ち読み注意した男性、駐車場で刺され死亡

 いくつか思うことがある。
 まず、勝Pのコレ⇒2004/10/18 (月)
 だが、わからないではないが、倫理・道徳の問題ではないだろうし、まして「子供を連れてコンビニの前を通ったなら立ち読み卑人を指さして言おう。「ああいう人だけにはなってはいけませんよ」と。」は修辞に過ぎないとはいえ、子を持つ親には伝わらないように思う。つまり、親と子の倫理の関係はこういうものではないだろう、と(そういう人もなかにはいるだろうけど)。
 次に、ローソンと聞いて、ああ、そうかなとうちあたい(内心思い当たる)感じがする。別の言い方をするとセブンイレブンでは起きないのでは? このあたり、コンビニトラブルの統計傾向などは知りたい。システム的な問題があるのではないか。
 あと、立ち読みなのだが、これも一義的にはシステム的な問題だとは思う。勝Pは立ち読みは窃盗のごとく以前述べていたと思うが、書籍や雑誌の購買は立ち読みが含まれていると思う…思うばっかし。
 余談だが、私がよく行くコンビニでは身障者が車椅子で立ち読みしていて他の人に迷惑をかけているとしか思えない。注意すべきかと悩むのだが、なかなか戸惑う。

VOA Major Endorsements for Bush, Kerry as Race Remains Clos

The New York Times is the first American newspaper with a national reach to endorse a candidate.


In an editorial in Sunday's edition, the Times backed Senator John Kerry, calling the Democratic nominee a man with a strong moral core.
 
The Kerry campaign also got endorsements Sunday from important newspapers in closely contested states, including the Miami Herald in Florida, as well as his hometown newspaper Boston Globe.

 ま、そんなところ。っていうか、NYTは前回もゴア。
 ちなみにブッシュ側。

But there was good news for the Republicans on the endorsement front as well. President Bush got the backing of The Chicago Tribune, which praised his resoluteness in the face of defining challenges. He also got backing from key regional newspapers in states where the race for the White House is close, such as Colorado and New Mexico.

 おまえさんは? オーノー、にほんじん関係なーい。
 基本的にどっちでもいいけど、ケリーで期待が持てるのは、ES細胞研究くらいか?
 このままブッシュで、あの赤字どんどんで進むと、未知なる世界史の次元に突っ込みそうで恐いのはあるな。

ちなみに、今日のIEM

http://128.255.244.60/graphs/graph_Pres04_WTA.cfm
 ありゃ、ケリー、落ちてる。
 これまでのところ、IEMは大筋で、世論より1週間先行している。ま、討論会の影響などはそうとも限らないが。
 討論会でのケリー持ち直しはすでに織り込まれたと見ていいから、ケリーのこの落ちはなんだろう?

切隊 中国のガス田開発、日中間の外交問題に発展か

 ものすごく正論。
 ちなみにおめーさんはどう?と言われるとすれば(言われねーけど)…

2. 現在の石油、天然ガスなどの利権は、地政学的要件ではなく市場的要件によって発生するもので、仮に中国政府の主導でガス田が開発されたとしても市場で買えばよい

 この反論はというと、これかな。

 また、いま世界の市場は歴史上ないぐらい安定した世界経済のなかで繁栄を謳歌しているが、その繁栄を支えているアメリカの状況が悪くなったり突発的な事件がきっかけとなって長きに渡り供給が止まることもないわけではない。

 ま、それもそ。
 負けじゃん、俺。って、別に勝つ気もない、っていうか、山本正論すぎ。
 なーんだ、finalventさんたいしたことありませんね。
 と、そのとおり。っていうか、中台問題を含めて、日本はとにかく基本は追米以外は実質的にはないのだろうなという諦めの境地。もうちょっと積極的に言えば、市場原理=アメリカ主義、というのを広めるしか日本の活路はあるまいな、と。
 その間、できるだけ、石油からのシフトをとも思うが、それもどうなのだろうか? っていうのは、安い石油を適当に使うというのは結局的に賢い選択でもある。
 うーむ、旗色悪い。
 ま、アメリカというのを一国と見ずに、自由主義経済の理念と見れば、追米もそれほど恥ずかしくないかな。それと、中国がまとまもなら交渉のしようもあるが、中国ってまだ国家なのか、よくわからん。人民公社の利権ネットワークなのでは、とすると、交渉のとっかかりもない。となると、結局、米国くらい強面をする気構えが必要になる。
 ますます、旗色悪い。
 経済というのは双方あってのことだから、まず、国際市場に中国をどっぷり突っこませるしかないかな。ま、そんなところ。(でも、そのしわ寄せはたぶん中国国内に先行するのだろうな。)

産経社説 中台対話 中国に大局的見地を期待

 放言になってしまうのだが、ポチ保守の臭いがするなぁ。
 産経が中国に期待するようになってはという気もするが、それはよいとして、どういう構図を描くのか大局がない。産経新聞台北でも発行されている。こういうなさけない社説を書かないでよ恥ずかしいからというのもあるな。

毎日社説 トルコ加盟問題 描けるか新しい欧州の形

 毎日のこの話をくさす気はない。ま、こんなもの。
 で、この手の話は、くだらないのだ。どこがくだらないかというと、ここ。

 そして、トルコの加盟問題の裏には「一体欧州とは何か。どこからどこまでが欧州か」という難しい問いが横たわっている。

 その一方で、欧州に住むイスラム系住民の数は年々増加し、もはや無視できない勢力となっている。特に、ドイツには約200万人のトルコ系住民が住む。

 これは後者が重要。つまり、トルコ系住民だけではなく、欧州のイスラム人口の問題なのだ。100年スパンで見ると、人口学的に欧州はイスラム圏に変貌せざるを得ないのだ。冗談みたいだけど、そーなんですよ。
 だから、そうなると欧州とはイスラムを含みこむ原理として作るしかない。トルコがというより、ようは、労働者の移動という、経済条件の問題なのだ。そして、その経済条件がEUという超国家がどう捕らえるかということ。

読売社説 [憲法9条]「公明党は改正論議を加速させよ」

 読売さんの憲法視座はちょっとうんざり感がある。
 読売って憲法がなんだかまるでわかってないのに、「憲法」というタームで書かれるので困る。
 憲法というのは、本質的に国家権力へのはどめ、ですよ。

朝日社説 米軍の再編――安保の枠内でできるか

日本からすれば、沖縄の基地の負担をいかに軽くするかも重い課題である。

 という沖縄についての言及が孤立してぽつんと挟まっているのだが、考察はなし。
 沖縄の基地は、実質、本土側の日米安保によって、戦後その機能が移転されたものだ。しかもその移転というのは、本土の国体からして米軍をのけるということだ。現在在沖米軍のグァム、オーストラリア移転が叫ばれているが、あの時点で、沖縄は日本ではないということで移転されたのでそういう論理だったのだ。
 1972年に復帰した時点で、ありゃ、と考えるべき問題だった。
 「極東」事項については、すでに湾岸戦争のときに組み込まれたので、いまさらである。自衛隊問題と似た構図だ。